寒川神社に参拝の後、鶴岡八幡宮にも参拝しました。 鶴岡八幡宮までのルートはカーナビに従い、湘南海岸まで出て、国道134号線、若宮大路を通るコース。 久しぶりの国道134号線はやっぱり渋滞していて、寒川神社を出たのは14:00過ぎでしたが、鶴岡八幡宮に着いたのはちょうど16:00。 でも海岸沿いの道は、車で走るだけでも気持ちよく、ちょっとテンションがあがりました。
御祭神と御由緒
頼朝の5代前の先祖・源頼義が前九年の役(1053-1062)で奥州の有力豪族・安倍氏に勝利の後、鎌倉に戻り、
源氏の氏神として京都・石清水八幡宮を由比ガ浜に勧請したのがはじまり。
その後、源氏再興の旗を挙げた頼朝が鎌倉入りして、現在地に遷座しました。
頼朝は京都をかなり意識していて、八幡宮を内裏、若宮大路を朱雀大路に見立てて鎌倉の町を造ったのだそうです。
神社が政治の舞台だったのですね。。
参拝日:2020年8月14日(金)
鶴岡八幡宮への参拝は、寒川神社と同じく、全国一の宮巡拝をしていた2011年2月以来、9年ぶりでした。
私の鎌倉のイメージは、素敵なところだけどいつも混んでいて気軽には行けないところ。
今日は、コロナのせいか比較的空いていたと思われます。
境内をひととおりまわって、所要時間は約1時間30分でした。
三の鳥居
若宮大路を真っ直ぐ進み、突き当たったところの鳥居です。鳥居をくぐったところからが境内。
太鼓橋
現在の太鼓橋は、関東大震災で倒壊後に架け替えられたもの。斜度30度。 現在、太鼓橋は通行禁止で、両側に作られた橋を渡るようになっています。
源平池
太鼓橋の左右には源平池という大きな池があります。1182年に北条政子が大庭景義に命じて掘らせた池とのこと。 橋の下で繋がっているので一つの大きな池ですが、左を平家池、右を源氏池と呼びます。
平家池
左(西側)の池。 蓮に埋もれてよくわかりませんが、池には島が四つあり、これが平家の滅亡(死)を表しています。
源氏池
右(東側)の池。こちらは島が三つで、これが源氏の繁栄(産)を表すのだそうです。
旗上弁財天社
源氏池の中之島にある神社。
旗上弁財天社裏手にある祈願石。
参道
それでは参拝していきましょう。
舞殿(下拝殿)
1186年、当時この場所にあった若宮回廊で、源義経の妾、静御前は頼朝に命じられて舞を舞いました。
静御前は義経を慕う歌を唄って頼朝を激怒させますが、これを政子がとりなしたといわれています。
静御前はこのとき義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じたところ、
男子が生まれ、男子は由比ガ浜に沈められたそうです。
1191年の大火後、1193年に舞殿が建てられました。
茅の輪くぐり
まだ茅の輪くぐりができたので、しっかりお祓いしてきました。
若宮(下宮)
源頼義の建立した由比若宮を頼朝が最初に遷座したのはこのあたりと伝えられています。 社殿は1191年に火災で焼失しますが、すぐに再建。 このとき本宮(上宮)も建立されて、八幡宮の現在のかたちができたそうです。 現在の建物は、1624年、寛永の大造営の一環として、徳川秀忠により建て替えられたもの。
大石段と本宮(上宮)
大石段は、1219年、源実朝の暗殺現場。凶行に及んだ甥の公暁が隠れていた銀杏の木は、 強風により2010年3月に倒れましたが、今はその切り株から若芽が芽吹いているそうです。
大石段からの眺望。
本宮(上宮)
現在の本宮は、1828年、江戸幕府11代将軍徳川家斉の命により建てられたもの。
おみくじ
おみくじを引いてみたところ、吉。なかなかいい言葉か書いてありました。 神さまは私のことをよくわかっていらっしゃいます。
宇佐神宮遥拝所
本宮西側にある、全国の八幡宮の総本山・大分の宇佐神宮を遥拝するところ。
丸山稲荷社
本宮西側の小高い丘の上に鎮座するお稲荷さんは、鶴岡八幡宮創建以前よりあったといわれています。 現在の社殿はもともと実朝を祀った柳営社のもので、八幡宮内では一番古い室町期の建物だそうです。
今宮
1247年創建。御祭神は、82代後鳥羽天皇、83代土御門天皇、84代順徳天皇。 全員、承久の乱に敗れて配流された天皇です。土御門天皇は承久の乱に反対していて処罰を受けなかったのですが、 自ら申し出て配流されました。現在、御動座中とのことでした。。
由比若宮遥拝所
八幡宮の元宮を遥拝するところ。
白旗神社
1200年に源頼朝を祀って創建されたのがはじまり。元々は上宮の西側にありましたが、 明治18年に実朝を祀る柳営社と合祀され、現在地に遷されました。 明治の神仏分離令以前は、鶴岡八幡宮には鶴岡八幡宮寺があり、それまでこの場所には薬師堂があったそうです。