東京に住んでいると日本海側のこの地方はあまり馴染みのないところですが、
地図を見ると、畿内や瀬戸内海に繋がる水運を利用できる琵琶湖までの距離は僅か5kmほど、
敦賀港から日本海に出れば、朝鮮半島にも繋がる交通の要衝であることがわかります。
ここは古代から拓けた地域でした。
主祭神は、伊奢沙別命(いざさわけのみこと)という氣比神宮特有の神さま。
笥飯大神(けひのおおかみ)、御食津大神(みけつおおかみ)とも称し、
古くより北陸道総鎮守と仰がれ、海上交通、農漁業始め衣食住の生活全般を護り給う神として崇められてきました。
702年、文武天皇(持統天皇の孫)のときに、仲哀天皇と神功皇后が「本宮」に合祀され、
後に応神天皇、日本武尊(仲哀天皇の父)、玉姫命(たまひめのみこと:神功皇后の妹)、武内宿禰命の4柱が、
「四社之宮」に配祀されました。神功皇后を中心に三韓征伐に関係する神さまになるでしょうか。
境内図は神社公式ページより拝借。
では参拝していきましょう。境内の東駐車場に車を停めて、回廊の中へ。
社殿は太平洋戦争で焼けてしまい、みな戦後の再建だそうです(大鳥居は江戸初期に建立)。
大鳥居から入らずに順番はぐちゃぐちゃになってしまいましたが、かつては東側に表参道があったようなので、
いいことにします。
回廊の中。
外拝殿。
本殿。手前に見えているのは「四社之宮」のうち、平殿宮と西殿宮。
境内西方に末社・神明社。祭神は右が天照皇大神(内宮)、左が豊受大神(外宮)。 それぞれ江戸初期に勧請奉祀されたもの。
九社之宮。
中鳥居。
大鳥居を境内から。
大鳥居。
参道。
末社・猿田彦神社。
神池。
摂社(式内社)・角鹿神社(つぬがじんじゃ)。祭神は都怒我阿羅斯等命(つぬがあらしとのみこと)。 御祭神は、朝鮮半島、任那(みなま)の皇子。崇神天皇の御代に氣比の浦に上陸し貢物を奉ると、 天皇から氣比大神宮の司祭と当国の政治を任せられたとのこと。 神社はその政所跡に創建され、敦賀の地名は元々、角鹿でこの社名に因るそうです。
末社・兒宮(このみや)。祭神は伊弉冊尊(いざなみのみこと)。平安朝時代、986年より以前には鎮座していたそう。徳川時代より子宝祈願を始め安産の神と称され、拝殿の両側には母子大小の狛犬が御護りしています。
末社(式内社)・大神下前神社(おおみわしもさきじんじゃ)。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。 天筒山麓に鎮座されていたのを明治年間現在の地に移転したそう。
土公(どこう)
鳥居の奥に「土公」とよばれる「氣比大神降臨の地」である聖地が見えます。
現在は小学校の敷地内になっていますが、ここが遥拝所になっています。
神社は、土公の地で気比大神を祀っていたものが、702年に朝廷関係の神々が合祀され、
現在のかたちになっていったようです。