栃木県日光市に鎮座する下野国一宮・日光二荒山神社に行く

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日光の社寺(二社一寺)は、東照宮、二荒山神社、輪王寺を指しますが、明治に神仏分離令が出される以前は全部が「日光山」で、神は仏が権りに現れたものとする、神仏習合、一体の経営が行われていました。

日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)の創建は、767年。奈良時代の僧、勝道上人が男体山への登頂を目指して、現在の別宮・本宮神社付近に男体山を祀る祠を建てたのがはじまりといわれます。
日光の名は、霊峰・二荒山(ふたらやま=男体山)の音読み「ニコウ」に由来するといい、二荒山の「フタラ」は、観音菩薩の浄土とされる補陀落山(ふだらくせん)に由来するのだそう。

850年に現在の東照宮鐘楼付近に遷座。「新宮権現」と称して男体山・大己貴命を祀り(本地:千手観音)、旧地の「本宮権現」(祭神:太郎山・味耜高彦根命、本地:馬頭明王)、「滝尾権現」(祭神:女峰山・田心姫命、本地:阿弥陀如来)とともに日光三社権現と呼ばれました。

1215年、現在地に遷座。日光山は、18万石と比叡山延暦寺に次ぐ寺領を有していましたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に北条氏に味方したことで多くを没収され、一時衰退。しかし、1613年に天海が貫主として入山し、1617年、徳川家康を祀る東照社が創建されると、日光三社も厚い崇敬を受けるようになりました。

日光二荒山神社

何となくお寺の雰囲気だったり、色々なものがごしゃごしゃある感じは、神仏習合の影響なのでしょうね。

日光二荒山神社

二荒山神社と書く神社が、もうひとつ宇都宮の中心部に存在します。 そちらは、ふたあらやまじんじゃと発音し、御祭神も日光とは異なります。 江戸時代までは宇都宮明神と呼ばれていて、いずれの神社も明治時代になってそう名乗るようになりました。
その理由は、どちらも自分が平安時代の「延喜式神名帳」に名神大社として書かれた「下野国河内郡 二荒山神社」 であると主張しているから。今も論争は続いていますが、どちらかというと、宇都宮のほうを延喜式に書かれた一之宮と考える人が多いようです。
日光は、そんな権威がなくても少しも困らないように思いますが、 どうなんでしょうね。

日光二荒山神社

拝殿と本殿は、1619年、徳川秀忠によって造営されたもの。 戊辰戦争の際、旧幕府軍は日光山に立てこもりましたが、新政府軍の板垣退助が説得して下山。戦火を免れたといわれています。

日光二荒山神社

夫婦杉。

日光二荒山神社

日光二荒山神社

日枝神社。1644年頃に建てられたもの。

日光二荒山神社

化け灯籠。正応5年(1292年)銘の銅灯籠。

日光二荒山神社

神輿舎。1617年の建物。

日光二荒山神社

大国殿。1745年の建物。

日光二荒山神社

高天原。

日光二荒山神社

朋友神社。1751~1763年頃の建物。

日光二荒山神社

二荒霊泉。

日光二荒山神社

日光連山遥拝所入口。

日光二荒山神社

日光連山遥拝所。

日光二荒山神社

本殿。

日光二荒山神社

日光二荒山神社

表参道鳥居。

日光二荒山神社

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