村上海賊の城、能島城への登城を終えて広島空港に戻る途中、
今回の旅の最後に村上氏も氏神とした大山祇神社に立ち寄りました。
御祭神は大山積神(おおやまづみのかみ)。
大山積神は、山と海、両方の神で、遠い神代から人の世に至るまで多くの神の父とされる神さま。
スサノオの妻、櫛名田姫(クシナダヒメ)の両親である足名椎命・手名椎命の父。
櫛名田姫の次にスサノオの妻となった神大市比売神(かむおほいちひめ)の父。
スサノオとクシナダヒメの子、八島士奴美神(やしまじぬみ)の妻、木花知流比売(このはなちるひめ)の父。
そして、天孫ニニギの妻である木花開耶姫命(このはなさくやひめ)とその姉、磐長姫命(いわながひめ)の父。
またの名を吾田国主事勝国勝長狭神(ことかつくにかつながさ)といいます。
「吾田」は「阿多」のことで、薩摩半島の原住民、阿多隼人といわれます。
その子孫であるオチノミコトが、この地に祖神を祀ったのが神社のはじまりといわれます。
オチノミコトは越智氏の祖。今も宮司を務めるのは越智さん。
越智氏系図ではオチノミコトの10代前の祖先はニギハヤヒ。
ニギハヤヒもニニギ同様にアマテラスの孫とされる神様ですが、
実際のニギハヤヒとニニギは異なる氏族と考えられています。
古代史も興味ありますが、謎の部分が多くて難しいです。
訪問日:2020年11月22日(日)
着いたのは15:00前。ちょうど着いた頃に小雨がぱらつきはじめましたが、 参拝している間は傘を差さずに済み、参拝を済ませて車に戻った瞬間に雨が強く降りだしました。 天気予報どおりといえばそれまでですが、なんとなく神さまを感じました。
由緒と境内案内図。
御桟敷殿と斎田
総門
御神木・乎知命(オチノミコト)御手植の楠。
能因法師雨乞いの楠。推定樹齢3000年。
神門。
拝殿。
神門と廻廊。
本殿、上津社(左)、下津社(右)を斜め後方から。
姫子邑神社。木花開耶姫命とその御子神が祀られている。