旧水戸徳川家の庭園、小石川後楽園に行く

昭和な私が後楽園といって思い浮かべるのは後楽園球場と後楽園ゆうえんちですが、 もともとは水戸徳川家の上屋敷があった場所で、後楽園はそのお屋敷にあった庭園の名前です。

水戸徳川家初代の頼房が築造し、2代光圀のときに完成。江戸期において最も早くできた大名庭園で、その後柳澤吉保が築造した六義園とともに江戸の二大庭園と呼ばれたそうです。 屋敷のほうは明治時代になくなってしまいましたが、庭園は改修や震災、戦災に見舞われながらも残り、現在に至ります。

花菖蒲が見頃という情報で出かけたのですが、初めての訪問だったので全体をゆっくりまわっていたら、3時間半も滞在していました。 すぐそばのコインパーキングに車を停めていて、精算したら駐車料金が4840円になっていてびっくり。 以下にその成果を記録します。

小石川後楽園

上の図は西門入口にあった案内図。下の図は同じく西門入口にあった水戸家9代当主斉昭の頃のもの。上の図と方向をあわせて回転させました。
建造物は、のちの関東大震災と第二次大戦でほとんど焼失していますが、 中央の大泉水とそこに浮かぶ蓬莱島、北の八卦堂など、それぞれの位置は現在とあまり変わっていないようです。

小石川後楽園

それでは庭園を散策していきましょう。

大泉水とその周辺

庭園の中心にある大泉水は、蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られました。

小石川後楽園

蓬莱島は、古代中国の神話(神仙思想)のなかで、海の彼方にあって不老不死の薬があるといわれる島。 池泉の庭園には必ずといってあるものだそうです。長寿のシンボルである亀の形をしています。

小石川後楽園

上の写真がその蓬莱島。左の岩の島が頭。 頭のところにある大きな鏡石は庭師・徳大寺佐兵衛にちなんで「徳大寺石」と名づけられています。

小石川後楽園

紅葉林

紅葉の季節はきれいでしょうね。。

小石川後楽園

枝垂桜

桜の季節はきれいでしょうね。。

小石川後楽園

柘榴の木

小石川後楽園

一つ松

琵琶湖岸の名所「唐崎の一ツ松」をイメージ。

小石川後楽園

丸屋

下の九八屋とともに戦災で焼失したため戦後に復元。

小石川後楽園

白糸の滝

小石川後楽園

九八屋

小石川後楽園

京都エリア

京都の名所を写しているエリア。 この庭園は、木曽路から琵琶湖を通って京都に向かうイメージで造られており、 東門から入ればそうしたルートで歩けたのだそうです。

大堰川と渡月橋

京都嵐山の大堰川とそこに架かる渡月橋。

小石川後楽園

音羽の滝と通天橋

清水寺の「音羽の滝」、東福寺の「通天橋」。

小石川後楽園

通天橋の上から。京都の通天橋と同じく紅葉が綺麗なのだそうです。

小石川後楽園

得仁堂

徳川光圀の中国趣味が随所に現れていることも後楽園の特徴です。 こちらは、光圀が史記「伯夷列伝」の登場人物、伯夷・叔斉兄弟の木造を安置した堂。 光圀は兄・頼重を差し置いて自分が世継ぎになってしまったことに悩み、若いころは素行が悪かったのですが、 「伯夷列伝」を読んで改心したといわれています。震災と空襲をくぐり抜けた現存建築物。

小石川後楽園

神田上水エリア

円月橋

明の儒学者・朱舜水の設計の石造アーチ橋。水面に映る形が満月のように見えることからこの名が付けられました。 こちらも江戸時代からの現存建造物。

小石川後楽園

神田上水跡

小石川後楽園

小石川後楽園

花菖蒲田

小石川後楽園

小石川後楽園

内庭

こちらは水戸藩上屋敷の内庭だったところ。かつては奥に見える唐門が後楽園に入る正式な入口だったそうです。 当時は唐門の両脇に袖塀があり、後楽園と内庭は明確に分けられていました。

小石川後楽園

ピカピカだと思ったら、昨年12月に復元されたものでした。

小石川後楽園

小石川後楽園

睡蓮

小石川後楽園

木曽川からあがってきたカモ。

小石川後楽園

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