日本100名城:水戸城(茨城県水戸市)に行く

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鎌倉時代に常陸大掾(だいじょう)馬場資幹(すけもと)が館を築いたのがはじまり。 1422年または1426年に常陸江戸氏の通房が城を奪うとその後は江戸氏の居城となりました。 江戸氏は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣できず、 水戸城は、その後秀吉から常陸国および下野国の一部を安堵された佐竹義宣に攻められて開城。 義宣は居城を太田城から水戸城に移し、改築を行いました。

しかし佐竹氏は関ケ原の戦いの際に態度を明確にしなかったことから、1602年に秋田へ転封となります。 水戸城主は家康5男の武田信吉、翌年10男の徳川頼宣、1609年11男の頼房と替わり、 その後は頼房の子孫が水戸徳川家となりました。


(水戸城パンフレットより)

那珂川と千波湖にはさまれた台地の先端に典型的な連郭式の縄張で築かれた城です。 台地を掘削して堀をつくり、東から下の丸、本丸、二の丸、三の丸の4つの郭を構築しています。

訪問日:2021年7月17日(土)

水戸駅前から。前回2015年の3月訪問時にはなかった二の丸角櫓が見えました。

大銀杏左手の銀杏坂を上って水戸城のある台地に向かいます。

三の丸に沿った道を通って大手門へ。写真右奥に先ほど見上げた二の丸角櫓が見えています。

三の丸側から見た二の丸角櫓。2021年6月に復元が完成した櫓。 映える写真スポットをいろいろ探しましたがこれが精一杯でした。

二の丸

二の丸エリアは整備がすすんでとても綺麗になっています。

大手橋と大手門。大手門は2020年2月に天保期の姿で復元されました。 門が最初に作られたのは佐竹氏が城主だったころだそうです。

大手橋の上から三の丸と二の丸の間の堀。これを掘削して作ったとはすごいですね。 復元された二の丸角櫓に続く土塀もいい感じです。

大手門を背にした正面には三の丸の弘道館が見えますが、 こちらは後で見ることにしてまずは大手門をくぐって二の丸を見学します。

大手門をくぐってふり返ったところ。枡形構造。

門をくぐった先の二の丸のなかの道。随分綺麗になっていますが城があった当時からあった通路のようです。 通りの右側は、いまは茨城大学教育学部附属小学校、幼稚園、茨城県立水戸第三高等学校の敷地になっていますが、 昔は全域が御殿でした。

御殿の敷地内、地図上に青で示されている通路を通って二の丸角櫓へ。

二の丸角櫓。中も無料で見学可能。出来たばかりでピカピカでした。

戦国時代より自生していたと伝わるシイノキ。

通りの左側、水戸市立第二中学校の「二中見晴し台」。 水戸城の北側を流れる那珂川が見えますが見晴らしは微妙。

杉山坂。寛永2年に藩主頼房が行った水戸城大改修で造られた道だそうです。

杉山坂を上ったところにある杉山門。歴史的モニュメントとして2016年に建てられました。

本丸

本城橋を渡って本丸へ。 本丸といっても近世以降城の中心は二の丸に移っており、江戸時代はここに兵器庫があったようです。 現在は県立水戸第一高校の敷地です。

二の丸と本丸の間の堀切。本当にこれを人が掘ったのかと思うくらいの大堀切。 現在はJR水郷線が走っています。

本丸の敷地には、本丸の先の曲輪「下の丸」(現在は水戸一高の運動場) の橋詰門と考えられている藥医門が移築されています。水戸城唯一の現存建築物。

水戸一高の敷地のため見られるのはここまで。 元の本城橋に戻って左手、大堀切に沿った坂を下りていきます。 左手に見えている建物は水戸三高の校舎。

二の丸

坂の途中、水戸第三高校の正門近くに、歴史的モニュメントとして建てられた「柵町坂下門」があります。 当時の紋は坂を下りきったところにあったそうです。 水戸第三高校の正門はかつて「柵町口門」があったところ。 門はなくても名残がのこっているのはいいですね。

城下

義公(水戸光圀)生誕の地。水戸といえば黄門様。 この地にあった家老・三木仁兵衛之次(みきにへいゆきつぐ)の邸宅で、 寛永5年(1628)6月10日に頼房の第3子としてお生まれになったとのことです。

三の丸(弘道館)

もう一度最初の銀杏坂を上って今度は三の丸を見ていきます。 三の丸には元々重臣の屋敷がありましたが、 9代藩主斉昭によって天保12年(1841)に弘道館(藩校)が建てられました。

銀杏坂を上がって突き当りは弘道館の武館跡。現在は市立三の丸小学校。冠木門は当時のものではありません。

東にまわると弘道館の正門。今も閉まっていますが当時も藩主の来館や正式な行事の際のみ開いた門。

ということで、当時と同様に正門横の通用門から入ります。

弘道館の正面玄関。この建物(正庁)は試験や儀式に使われました。

有名な尊攘の掛け軸。安政3年(1856)に斉昭の命で水戸藩医の松延年が書いたもの。

正庁の奥にある至善堂は藩主の休息所や慶喜をはじめとする諸公子の勉強の場でした。 御座の間は大政奉還後に慶喜が謹慎した部屋です。

正庁を出て北側には学問を学ぶ校舎だった「文館」跡。 今は梅林になっています。奥に三の丸を囲う土塁が見えます。

弘道館の中央(中心)に建つ鹿島神社。御祭神はタケミカヅチ。 斉昭が弘道館の開館時に鹿島神宮から分祀し創建されました。 タケミカヅチは、出雲の国譲り神話で、大国主命に直談判をし国譲りを実現させた神さま。

学生警鐘。時を告げるのに用いられた鐘。

土塁(復元的整備)。

北柵御門(復元的整備)。教職と役人のみ通行を許された門だそうです。

弘道館全図で場所を確認。 図の下部にある通用門が最初の入口で中の建物が正庁。その上にあるのが鹿島神社。 右にある建物が文館。で、いまは北柵御門を出たところです。 最後に三の丸の北から西の側面を見学します。

水戸東武館。三の丸の外、北西にある建物は、弘道館の剣術指南役だった小澤寅吉が明治7年に自宅に開いた道場です。 自宅がここにあったわけではなく、平成27(2015)年に現在地に移されたそう。 建物も昭和20年に一度焼失していて、昭和28年に再建されたもの。 坂本龍馬も習っていたという「北辰一刀流」を伝承しています。

三の丸西側の堀。なかなかの迫力。

かつての水戸城は弘道館しかない印象でしたが、いろいろ整備復元されてなかなか見どころが多くありました。 (滞在時間:約3時間)

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