戸籍を集めて家系図を作ってみた。

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夏休みの自由研究に、戸籍を遡って家系図を作って見ました。

我が家は、私の祖父が、お母さんの弟が亡くなりお母さんの実家を継ぐ人がいなくなったため、存命していたおばあさんの養子になって継いだ家でした。 そのおばあさんは私の高祖母にあたり安政2年(1855)生まれ。おばあさんの夫の父親、私の高祖父の父にあたる人は天保9年(1838)生まれ。6世代前の高祖父の祖父まで名前を知ることができました。

祖母が存命していた頃、祖父が母親の実家を継いだ家だという話は聞いていたのですが、祖父は私が生まれる前に亡くなっておりそれ以上のことは知りませんでした。我が家のお墓の竿石には「昭和12年建之」と彫られていますがその建立者が自分の何にあたる人かわからず、 ずっともやもやしていたのが今回の家系図を作ろうと思ったきっかけです。 結果、お墓の建立者は祖父のお母さんの弟であることがわかりました。

こうなるともっといろいろ知りたくなるのが人情。不確実ですがその先祖は徳川家康が江戸に国替えになったときに一緒に大坂摂津国から来た漁師だったとも聞いたことがあったので、その真偽も確かめてみたくなりました。
次なる手段として、戸籍に記載されていた本籍地の法務局に行き旧土地台帳を調べました。 しかしそこに名前はなく、借家住まいだったようです。ただ法務局に行ったことでその場所が現在の住居表示でどのあたりか見当がつきました。
その足で図書館の郷土資料室へ。ここでも戸籍以上に遡れる情報は得られなかったのですが、 地元の人が郷土史をまとめた本を見つけることができました。その本で家のあった場所が戦中に強制撤去になり、現在は道路になっていることがわかりました。本の「撤去前の住民図」という記述のなかに自分の苗字があるのを見つけて大興奮。
これ以上調べるとしたら、お寺か、郷土史をまとめた本の作者に聞き込み調査をするか。。まぁひとまずはここまでにしておきます。

祖父の生家のほうは、4世代前の高祖父までしか辿れませんでした。 養子に出た祖父ですが戦後は生家に住んだようです。 昔祖母に聞いた話では、曽祖父はここで床屋を営んでおり、洲崎遊郭の従業員がお客さんで結構繁盛していたよう。元々は金沢藩の武士の家で、曽祖父の母親の実家はより格上の鉄砲か何かの奉行だったらしいです。そのあたりの真相も確かめたかったのですが、そこまではわかりませんでした。
本来跡継ぎであるはずの祖父の兄は家を出ており曽祖父と暮らしていたのは祖父でした。なのでこちらの場所が私の実家です。しかしこれ以上調べようとするとこちらの家のほうが難しそう。手掛かりはお寺か、武士なら分限帳でしょうか。

ここまで僅か2日の調査でしたが、ある程度満足できる成果物ができました。 家系図作りをしているといったら、区役所、法務局、図書館の郷土資料室、すべてで皆さん協力してくれて、その過程も楽しかったです。

戸籍をよく見ると、曽祖父の弟は東京大空襲で亡くなっていたり、祖父の弟はフィリピン方面で戦死していたり、こうした話は知らなかったので驚きました。

家系図

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