飛鳥山博物館で開催中の「青天を衝け大河ドラマ館」に行く

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このところの楽しみの一つは大河ドラマ「青天を衝け」を観ること。 幕末から明治にかけての物語は薩長を中心としたものが多いですが、 このドラマは徳川目線で描かれているところが新鮮で気持ちがいいです。 徳川慶喜に仕えていた渋沢栄一が主役なので当然といえばそうですが。
そこで今日は東京北区の飛鳥山公園内にある飛鳥山博物館で2021年2月20日から12月26日まで開催中の「大河ドラマ館」にいってきました。

館内では、パリ万博のときの撮影に使われた衣装などが展示されていました。 ドラマの放送にあわせて展示内容も時々変えられているようです。

撮影は禁止でしたが、脚本家や題字、音楽担当者、 ほぼすべてと思われる出演者のサイン色紙も展示されていました。 並べて見るとそれぞれかたの性格も出ている感じで面白かったです。 徳川家康役・北大路欣也のサインがとっても貫禄がありました。

北区飛鳥山博物館

北区の歴史や自然、文化について展示している常設展も面白かったです。

特に興味を持ったのが「大地のおいたち」の展示でした。

最寄りの「王子駅」から飛鳥山博物館までの道中、明らかな高低差の崖を上りますが、 この崖は武蔵野台地の縁(へり)でした。
地球は現在まで温暖期と寒冷期を繰り返していて、 温暖期になると海面が上昇して低い土地は海に浸かり、寒冷期になると海面が下がり陸地になりました。 武蔵野台地の縁は、この繰り返しのなか、6,7000年前の温暖期に波によって削られてできたとのこと。 現在の地形の原型が整ったのは3000年前、弥生時代の頃だそうです。

京浜東北線は上野から赤羽にかけて左の車窓に崖が迫りますが、これは武蔵野台地の縁に沿って走っているからですね。地元好き、歴史好きの自分としては、これから地形についても興味を持っていきたいと思いました。

ブログを書いているあいだに見つけた「一般社団法人 東京都地質調査業協会さんのサイト」 も面白そうだったので、あわせて紹介しておきます。
https://www.tokyo-geo.or.jp/technical_note/index.html

旧渋沢庭園

さて、なぜ飛鳥山公園に「青天を衝け大河ドラマ館」があるかというと、 その一角に、渋沢栄一が明治12年から亡くなる昭和6年まで初めは別荘として、 後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅があったからです。

昭和20年の空襲で建物の多くは焼失してしまいましたが、現在も2つの建物が残っています。 事前予約をすれば内部の見学もできるようですが、 今日は思いつきで来ただけなので外観だけ写真に収めました。

晩香盧

大正6年に喜寿のお祝いに清水建設が建てた洋風茶室。

青淵文庫

大正14年に渋沢栄一記念財団の前身、竜門社が贈呈した書庫。 完成目前に関東大震災に遭い、収蔵予定だった多くの資料が焼失したため、 主に接客の場として使われたようです。

飛鳥山公園

飛鳥山公園は、江戸幕府の8代将軍徳川吉宗が桜の木を植え、行楽地として整備したのがはじまりです。 明治6年に上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定されたとのこと。 個人的には、地元の深川公園がその一つというのに驚きました。

季節ではないし天気も曇り空でいまいちですが、一応桜を撮っておきました。

近くを走る都電の撮影スポットでもあります。

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