日本100名城:甲府城(山梨県甲府市)に行く

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100名城スタンプは2013年に取得済み。ただ当時はスタンプ収集がメインだったので、もう一度城をじっくり見学したく8年ぶりに再訪してきました。

甲府といえば武田信玄ですが、甲府城は武田氏滅亡後に築かれた城。最初は秀吉が江戸の徳川家康をけん制するために築いたお城でしたが、 家康が将軍となった後は、江戸の西を守る城として重要になりました。

中央道を一宮御坂ICで降りて城までもう少しというところ、走行中の道路に不自然にクランクしている部分があり、すぐに「鍵の手」だと気づきました。下の図の右下に見える赤い線の道。後で調べてみると旧甲州街道でした。城に着く前からテンションがあがりました。

ところで、この図は場内の稲荷櫓に展示されていたもので、現在の地図の上に昔の城を重ねたものです。よく見ると中央の白いお城の部分の上のほうに山手門と書かれていて、そこから今は真下(南)に向かって大きな道が通り、それと交差して中央本線の線路が東西に通っているのが分かります。いま城で残っているのは、大まかに言って先の道路と線路の交差したところから右下の範囲で、舞鶴城公園として整備されています。

こちらが公園内の地図。 公園の玄関口に相当する「遊亀橋」からの入口は江戸時代にはなかったもの。 明治時代に、新たに橋が架けられて入口は石垣を壊して作られました。 他にも城のときにはなかった道がたくさん作られ、石垣にも手が入っているみたい。 どうも大正時代に本丸に建てた記念塔の石材搬入路を確保するために色々壊されているようです。。うーむ。 城があったころの建物は一切残っていませんが、平成になってから櫓や門がいくつか復元されています。

問題の遊亀橋。。無くてもよかったんじゃないかしら。。

遊亀橋の上から西側の堀を見たところ。江戸期の堀は突き当りから左に折れてもっと先まで続いていました。 堀の先に見える茶色のキューブ状のビルは山梨県庁の防災新館、その右隣が県庁本館。 ここからは見えませんが建物の前には道路があります。 江戸期の甲府城への入口、追手御門は防災新館前の道路あたりにありました。

追手御門の図。楽屋曲輪全体が今は県庁の敷地です。 今回は行かなかったのですが防災新館の地下に楽屋曲輪南端の石垣が残されていて見学もできるようです。 今は追手門から入ったところの虎口もなくなり、そのまままっすぐ楽屋曲輪から屋形曲輪にかけて道路が縦に通っています。 二の丸も道路に対して出っ張っているところが削られたよう。最初の地図にあった城の中を南北に貫いていた道路です。 この絵図でいうと、現在の舞鶴城公園は、本丸、二の丸(一部)、鍛冶曲輪、稲荷曲輪(一部)の部分。

城全体の絵図。以上の地図をたよりに江戸期の姿を想像しながら公園をまわっていきます。

「遊亀橋」を入って最初に目に入る風景。手前の広場は鍛冶曲輪跡です。

鍛冶曲輪の東端に数寄屋曲輪に上がる石段があります。 石段は当時のものかわかりませんが、入口自体は昔の絵図にもあったのでここから数寄屋曲輪に行ってみることにしました。

数寄屋曲輪から鍛冶曲輪をみたところ。

数寄屋曲輪。数寄屋というから茶室でもあったのでしょうか。

数寄屋曲輪から稲荷曲輪へは小さな勝手門をくぐります。

稲荷曲輪(東部分)。左に見えているのは天守台。

稲荷曲輪という名は、ここに城の建つ以前から祀られていた社があったから。 先の戦災で社殿が焼失し、今は城の外に移されています。

稲荷櫓。平成16年復元。城の内側には装飾がほとんどないのでなんとなくさびしいですが、 外から見るとかっこいい櫓です。あとで城の外側からも見てみます。

稲荷櫓のなかにジオラマの展示がありました。これはありがたい。

稲荷曲輪から本丸に上がるスロープ。 昔の絵図にも本丸に上がる入口はありましたが、位置などは少し改変されているようです。

スロープを上がり振り返ってみたところ。ヘアピンカーブを曲がってそのまままっすぐ行けば本丸に着きますが、 絵地図ではここは人質曲輪という小さな曲輪があったところ。当時、まっすぐ行った先は本丸櫓で塞がれていて、 通り抜けることはできませんでした。遊亀橋のところで書いた記念塔のために本丸櫓を壊して道を作ったようです。 なのでここは通らずに、天守台を右手に見ながら江戸期よりある左手の道を進んで南側にまわります。

天守台の石垣(南東)。人質曲輪との分岐から天守台下にかけてのこの場所は天守曲輪。

天守曲輪の石垣の下に門を発見。これは最初に入った鍛冶曲輪から直接稲荷曲輪に入る稲荷曲輪門。

天守曲輪の南東端から稲荷曲輪を見たところ。紅葉が綺麗です。

南側の天守曲輪全景。ここから左のほうに進み本丸に上がる鉄門(くろがねもん)のところに行きます。

鉄門。平成24年再建。

天守曲輪の西端にも天守曲輪に入る門がありました。中の門(柵門)跡。 こちらが城主が通常通った門のようです。

鉄門を本丸側から。櫓の中も見学できます。

櫓内には見学のモデルコースの案内などが展示されていました。 城のエリアは江戸期より縮小されているとはいえ「じっくり見学コース」は結構時間がかかります。 これ以上にじっくり見ている自分。。

では天守台に上がりましょう。

天守台の穴蔵。実際に天守が建っていたことがあったかはわからないそうです。

天守台の上から南の城下町の方向をパノラマ撮影。 向かって左が町人地、右が武家地でした。

北側は武田時代の館があった方向。眼下に見えるのは稲荷曲輪。

西の眼下には本丸。なぜ地面が盛り上がっているのかは不明。 正面に見える派手な塔が再三話題にしてきたやつです。 明治末期に県内を襲った水害からの復興のため明治天皇から県内の御料地を下賜されたのを記念し、大正時代に建てられたものとのこと。 古代エジプトの塔を模しているそうですが目立ち過ぎだし、作るのにいろいろ壊し過ぎ!

天守台を下りて記念塔のほうに移動。そこから北側の銅門(あかがねもん)跡を撮ったところ。 左下に復元された内松陰門も見えていい感じです。

銅門を下りていきます。

内松陰門を外側から。かつては背中側に屋形曲輪があり、江戸中期には藩主の居館があったそうです。

往時の甲府城への入り口は、南の追手門、西の柳門、北の山の手門の3か所でした。 追手門と柳門は今はありませんが、山の手門は復元されているというので、甲府駅のホームを越えて北側に移動。 上の写真は移動途中に北方向から公園を撮ったもの。稲荷櫓はやっぱり外側からのがかっこいいです。

山手御門の説明板。当時の建造物の資料はなく推定して復元したものとのこと。 位置は大体あっているみたいです。

山手門。結構立派です。城があった当時、門の前は堀で土橋が架かっていました。

枡形の虎口を右に折れて。。

山手渡櫓門をくぐって内側から。

再び舞鶴城公園に戻り、今度は外側の石垣を見て回ります。 こちらは稲荷曲輪北側の石垣。絵図によると今歩いているところは堀だったようです。

稲荷櫓の石垣。いい反りしていますね。

稲荷櫓の石垣を別角度から。

稲荷曲輪東端の石垣は城内で最も高い石垣で高さは17メートルあるそうです。 野面積みでこれだけの高さはすごいですね。奥は数寄屋曲輪の石垣。

最初の入口「遊亀橋」の手前まで戻ってきました。この神社がもともと稲荷曲輪にあった庄城稲荷大明神。
一周まであと少し。追手門を入った先の楽屋曲輪と鍛冶曲輪を繋ぐ鍛冶曲輪門が復元されているので、 これを確認しにそのまま堀の西端まで歩きます。

鍛冶曲輪門。

鍛冶曲輪門をくぐったところが鍛冶曲輪の西側。 絵図によれば左の石段をあがったところに二の丸、天守曲輪と繋がる坂下門があったとのことなのでそちらに行ってみます。

石段脇の石垣。建物の影に隠れて目立ちませんが、これも立派な石垣でした。

坂下門跡は案内板があるだけでどうなっていたのか全くわからず。

二の丸跡には現在武徳殿という山梨県警の武道場が建てられています。昭和8年の建物だそう。

最後に天守曲輪の上から見ただけだった鍛冶曲輪と稲荷曲輪の間の稲荷曲輪門を見ることにしました。 門までの通路は昔とは違うと思いますが、、

門は、かっこよくて気に入りました。

以上で終了です。早歩きでまわったつもりですが、2時間45分もうろついていました。 いろいろ壊してると書きましたが、街中でこれだけ残っているのは立派です。 レポートも壮大になってしまいました(汗)。

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