続日本100名城:引田城(香川県東かがわ市)に行く

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引田城(ひけたじょう)は、徳島県との県境に近い、瀬戸内海に面する標高82mの城山に築かれた城。 城山は今は陸続きになっていますが、城のあった当時は播磨灘に浮かぶ小島で、もとは島全体を城域とする海城だったようです。

築城年代は不明ですが、飛鳥時代には唐・新羅の侵攻に備えて築かれた高松の屋嶋城(やしまのき) との連絡のための狼煙台が築かれていたようです。 永正年間(1504-21)には寒川(さんがわ)氏の家臣が居城していました。 寒川氏は讃岐国造の後裔で周防の大内氏に属し、大内・寒川の二郡と小豆島を領して貿易で栄えたようです。
1507年、京都で細川政元が暗殺され、細川高国・大内義興・畿内の反三好勢力と細川澄元・三好氏ら阿波勢との間で抗争が始まると、 この対立は讃岐にも波及。寒川氏は次第に劣勢となり、1562年ごろには三好氏に臣従していました。

1571年、時の当主、寒川元隣(もとちか)は、阿波勝瑞城の三好長治に自身が治める大内郡のうち4郷の割譲を命じられ、引田城はこのとき三好氏に引き渡されました。しかし、三好氏も重臣の篠原長房が主君の長治に誅殺されて以後急速に力を失い、1577年、それまで傀儡としていた阿波守護・細川真之に攻められて長治が自害。その後は長治の弟で讃岐の十河氏の家督を継いでいた十河存保が後継となって阿波・讃岐の諸将を束ねますが、1582年、中富川の戦いで土佐の長宗我部元親に敗れて阿波を失い、羽柴秀吉に救援を要請します。

秀吉家臣の仙石秀久が援軍に入りますが、1583年、秀久は引田の戦いで敗れて撤退。 翌年、十河存保は大阪に逃れ、長宗我部元親によって阿波・讃岐が平定されました。 秀吉は同時期に柴田勝家と賤ケ岳の戦い、徳川家康と小牧・長久手の戦いをしており、こちらに十分な軍勢を割けなかったようです。

1585年、秀吉が本格的に四国征伐に乗り出すと、長宗我部元親は降伏。 戦後、元親は土佐一国のみを安堵され、仙石秀久に讃岐が与えられますが、 秀久はその翌年、九州征伐の失態によって改易され、1587年、生駒親正に讃岐一国が与えられました。

播磨国加里屋(赤穂)より讃岐国に入った親正は、はじめ引田城に入城しますがすぐに聖通寺城(高松)に移ります。 引田城はその後も東讃支配の城として重視されましたが、江戸時代に入り、1615年の一国一城令発布で廃城になりました。

引田港側登城口

徳島県の勝瑞城、一宮城に続き、本日3城目。登城口に着いたのは16:00でした。

中央に見える2つの案内図の間に道があり、そこを上っていきます。

登山道を上っていくと本丸に突き当たるのでそこから反時計回りに、 天守台跡、引田灯台、東の丸、北二の丸と見学することにしました。 なおこの登山道は、大正末期に整備された通路で築城当時の経路ではないそうです。

縄張り図。全体的にはコの字をひっくり返したような形。最大の見どころは北二の丸の石垣です。 少し離れた北曲輪には石垣がなく、ここは生駒親正による改築時に城から切り離された場所と考えられているそうです。 こちらは今回時間がないので省略することにしました。

登山は日没との競争。急いで登り始めて3分、見通しのいいところに出ました。 登山口から約150mの地点。引田の町並みが見えます。

登山口から約390m地点に狼煙台跡。

本丸(南の郭)

登山口から約490m地点、登り始めから10分弱で本丸西端の石垣が見えました。 引田城の石垣のなかでは、このあたりのものが最も古いらしいです。

本丸西端石垣上からの眺望。

南の郭と表記されていますが先の案内図の本丸部分。 描かれているものによって表記がいろいろ違って、少々混乱します。

城山山頂。82m。

本丸南端からの眺望。引田の町並みがよく見えました。

パノラマ撮影。左手、東北東は淡路島の方向。

化粧池

本丸の峰を下り、もう一つの峰、東の丸との間に位置する池。 人工の貯水池でお姫様や女中たちが池の水を化粧に用いたという伝えがあるそうです。 周囲には結構立派な石垣があるらしかったのですが、全然わかりませんでした。

引田鼻灯台

城の遺構ではありませんが、城山の東端には灯台があります。 現在も現役で引田港に出入りする漁船の道しるべになっているそう。 灯台マニアはこれを見にここに来るみたい。

東の丸

パンフレットには「東の丸は上中下3段の曲輪から構成され、塁線の石垣が一続きになるように連結されている」 とあるのですが、こちらもどこがどう相当するのかよくわかりませんでした。急いでいたので仕方なし。。

東の丸からの眺望。こちらからは淡路島の方向がよく見えました。

北二の丸

最後に最大の見どころの北二の丸に。

上段の石垣はシートで覆われていることは下調べ済みでした。

こちらが下段の石垣。

反対方向から。

北二の丸と南二の丸の間、大手門推定地あたり。

以上で終了。急いでいたため見逃したところはいろいろありますが、 引田の町を見下ろす眺望と北二の丸下段石垣、本丸西端の石垣は確認できたし、 割りと楽に登れるいい城でした。 (滞在時間:約50分)

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