日本100名城:高松城(香川県高松市)に行く

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高松城は2012年以来2度目の登城。昔はよくあるパターンで天守や櫓があればそれだけが城と思っていた節があり、もう一度登城して見直したいと思っている城は結構あります。高松城もその一つで、今回の旅行では新規登城の続100名城・引田城のついでに立ち寄りました。

高松城の概要

以下、史跡高松城跡パンフレットより引用。

天正 15 年(1587)に豊臣秀吉から讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌 16 年(1588)から香東郡野原郷において築城を開始しました。親正は築城に際し、地名を高松に改めました。
(中略)
慶長 5 年(1600)の関ヶ原の戦いでは、親正は石田三成に味方しますが、子の一正は徳川家康に味方したことから、讃岐国 17 万 1800 石余は改めて一正に与えられ、慶長 7 年(1602)から高松城を居城としました。
生駒家の治世は寛永 17 年(1640)まで 4 代 54 年間におよびましたが、寛永 17 年(1640)に生駒騒動と呼ばれる家臣団同士による対立が生じ、領地を没収され、出羽国矢島 1 万石に移されました。
その後、寛永 19 年(1642)に松平賴重に東讃 12 万石が与えられました。賴重は徳川家康の孫で、徳川光圀(水戸黄門)の兄にあたり、西国大名の監察役を命じられたとも言われています。また光圀は兄を差し置いて水戸徳川家を継いだことを悔いて、賴重の子綱条を水戸徳川家に迎え、実子賴常を賴重の養子としました。
これ以後、幕末まで高松松平家は水戸徳川家と養子縁組を繰り返していきました。賴重は入部 3 年目の寛永 21 年(1644)に高松城の改修をはじめ、寛文 10 年(1670)に天守を改築し、翌年から東の丸、北の丸を新造しました。それを引き継いだ 2 代藩主賴常は月見櫓(着見櫓)や艮櫓などを建てました。これらの改修に伴い大手を南側から東側に移動し、三の丸に御殿を建てました。その後、城は大きな改変は行われず、11 代にわたって松平氏の居城となっていましたが、慶応 4 年(1868)に官軍に開城することとなりました。

訪問記

7:50に玉藻公園東入口の旭橋と旭門前に到着。

旭橋と旭門

高松城の大手(表門)です。

以下、パンフレット掲載の現在の地図と高松城を重ねた図で城の縄張りを確認しましょう。

赤枠の内側が現在の玉藻公園のエリア。紫色が昔は水堀だったところで、水色が海だったところ。 赤枠の右下角が現在地・玉藻公園東入口で、そこから中堀に架かっている橋が旭橋です。 旭橋を渡ったところのL字型の郭が桜の馬場、そこから橋を渡った上の郭が三の丸。 三の丸の左に二の丸があり、その南、水堀に浮かんでいるのが本丸。 現在地から堀を挟んで上方の郭が東の丸。三の丸の右斜め上方、東の丸と接する郭が北の丸です。

築城当時は桜の馬場の南面中央に大手が作られましたが、 寛文 11 年(1671)に東の丸、北の丸を新造したのに伴い、旭門と旭橋が造られ、大手がこちらに変更されました。

この時期、東入口の開門は8:30で開門までまだ40分あります。 この時間を利用して公園外の遺構である東の丸と北の丸の石垣を見て回ることにしました。

東の丸・北の丸

石垣が残っているのは香川県県民ホールの敷地。

東の丸艮櫓跡

櫓台を北東側から。今自分が立っているところは、昔海だった場所です。 ビルの間をぬって石垣が残っている様子は、広島の三原城を思い出しました。

東の丸北側の石垣。奥に見える櫓台は先ほどの艮櫓跡。

北の丸鹿櫓跡

北の丸東端の櫓跡。ここも海に面していたところです。

北の丸月見櫓

北の丸西端の櫓。こちらは櫓台だけでなくちゃんと櫓が残っています。重要文化財。

左から月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓。すべて重要文化財の建物。 開門時間が近づき、放置した自動車が心配になってきたのでここで東入口に引き返しました。

桜の馬場南東端・太鼓櫓跡に建つ艮櫓

公園に入る前に東入口脇の駐車場から中堀越しに艮櫓を撮影。重要文化財。 艮は北東の方向なのに南東隅に建っているのは、もともと北東にあった櫓を移築したから。

旭橋前の公園案内図

それでは公園内を反時計回りに見ていきましょう。

旭門をくぐって城内に入ります。正面には先ほどの艮櫓が見えます。 立派な石垣が江戸期に築城された城の証。

艮櫓(太鼓櫓跡)の櫓台上から城内方向を見たところ。右側が今入ってきた枡形です。

艮櫓は記念撮影スポットになっています。ただし朝は逆光。

桜の馬場。いまは桜の木が植えられていて春は花見客でにぎわうそう。

桜の馬場から三の丸へ。この間には桜御門という立派な門がありましたが、昭和20年に戦災で焼失。 現在、再建工事が行われていて2022年春完成予定だそう。今回は水堀を埋め立てて作った迂回路を通ります。

迂回路から見た天守台と本丸の石垣。天守は生駒氏の築城時よりあり、 松平氏のときに改築されたものがずっと残っていましたが、 明治17年(1884)に老朽化を理由に取り壊されたそう。 四国最大の規模だったとか、惜しいです。。

三の丸・北の丸

三の丸の中央には、大正6年に建てられた披雲閣(旧松平家高松別邸)があります。

北側は庭園になっています。

北の丸月見櫓

北の丸のエリアに入って先ほど外側から見た月見櫓を内側から。 左の外に通じる門は水手御門。

水手御門から城の外を見たところ。 今は埋め立てられていますが、藩主はかつて参勤交代の際、ここから船で出入りしていたそう。

月見櫓の内部は日曜日(午前9時~午後3時)限定で公開されています。 今日はたまたま日曜日で、ラッキーでした。

月見櫓から西の眺望。高松駅の方向。目の前の目立つビルはホテルクレメント高松。 ホテルの建つ場所含めて眼下は昔は海でした。櫓の屋根に並ぶ三つ葉葵の紋が目を惹きます。

月見櫓から北の眺望。瀬戸内海に浮かぶ島々が見えます。中央奥の「豊島」まではフェリーで約35分だそう。 右奥の陸地は「小豆島」。

月見櫓から東の眺望。目の前のビルは県民ホール。その手前には北の丸東端の櫓台が見えます。

月見櫓から南の眺望。こちらはお城の三の丸の方向。

月見櫓を出て、三の丸北側の石垣上から見た月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓。

三の丸と二の丸の間の門、鉄(くろがね)門跡が見えてきました。

二の丸

二の丸側から見た鉄門跡。写っている人との比較で結構大きな門だったことがわかります。

二の丸には公園の西入口がありますが、ほとんど遺構はありません。

西入口。城の搦手口。かつては出たところは内堀で、橋を渡って前に見える道路あたりに桜の馬場から続く郭がありました。 今は入口を出た左側、埋め立てられた内堀跡に琴電の高松築港駅があります。

唯一の連絡橋である鞘橋(さやばし)を渡って本丸に向かいます。

本丸

入口は枡形。

天守台。

2012年には修築中だったので、今回はじめて登ることができました。

穴蔵部分。

穴蔵を上から見たところ。東南の方向には入ってきたところの艮櫓が見えています。

天守台上からの眺望。西は本丸。

天守台上からの眺望。北西は二の丸。

天守台上からの眺望。北東は三の丸。 現在、二の丸と三の丸の間が唯一瀬戸内海と繋がっているところで、 ここから堀には瀬戸内海の水が引き込まれているそうです。

「ことでん」と桜の馬場南面の堀

東入口の駐車場に戻って最後に「ことでん」を撮影して見学終了。 来てよかった、いいお城でした。(滞在時間:約2時間15分)

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