100名城:平戸城(長崎県平戸市)に行く

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元禄17年(1704)年、九州本土からは狭い海峡を挟んだ対岸、平戸島北部沿岸の突き出た丘陵上に、 平戸藩5代藩主松浦棟(まつらたかし)によって築かれた城。 平安時代から戦国時代にかけて、肥前松浦地方(現在の長崎県佐賀県北部)には松浦党(まつらとう)と呼ばれる武士団の連合があり、そのなかから松浦隆信が戦国大名となりました。 1599年、松浦隆信の子、鎮信(しげのぶ)の頃に一度、平戸城のある場所に新城の建設をはじめていましたが、 徳川家に豊臣家と親交の深かったことを疑われないようにするため破却。 1702年になって再築城を申請。1703年に許可がおり、築城に至るという経緯。

後年の松浦氏で有名なのは9代藩主の松浦清(静山)。 随筆集「甲子夜話」の著者で、野村監督が語った「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、静山の著作「剣談」の一節。明治天皇の生母、中山慶子さまは静山の孫娘。

平戸島と本土を結ぶ平戸大橋を平戸島側の平戸公園から。ゴールデンゲートブリッジのような赤色が印象的です。

平戸公園から見える平戸城。天守など見えている建物はすべて昭和以降に建てられたもの。

旧大手口、亀岡神社入口から見学スタート。

まっすぐ参道を進んでいきます。

二つ目の鳥居の後ろに一の大手門が見えてきました。

中に入ります。

かなり立派な枡形虎口。

左に曲がって先に進みます。

門をぬけて。

右に曲がり、

さらに右に曲がり、その先を道なりに進んでいくと。

二の大手門の石垣が見えてきました。

左に曲がったところが二の大手門。これも立派。

右に曲がり三つ目の鳥居の先が二の丸です。

二の丸。御殿があったところ。

方啓門。二の丸とその西側にある三の丸を繋ぐ門。 二つの大手門が立派過ぎて目立ちませんが、しっかりした門です。

亀岡神社は松浦家の歴代当主を祀る神社。奥に本丸門と模擬天守が見えています。

二の丸北西の乾櫓。平戸城に天守はなく、この三重櫓が天守代わりだったとのこと。 昭和37年に建て直されたものですが、どの程度外観復元されているのでしょうか、、。

中山愛子様追慕碑。9代藩主松浦静山の11女。明治天皇の生母、慶子様のお母さん。

ここで地図を確認。北が上。一番下の公園入口から園内を北上してここまで来ました。 ここから社務所の脇を通り、狸櫓のところから本丸に続く道を通って本丸に入ります。

北虎口門と右に見えるのが狸櫓。この二つが現存建造物とのこと。随分綺麗ですけど、、。

北虎口門を出て左手に地蔵坂櫓。

北虎口門を出たところから。奥は狸櫓。

北虎口門を入りなおして、狸櫓前。

狸櫓を背にして坂道を上がっていくと、

本丸門が見えてきました。

ここも枡形虎口になっていて、石段をあがったところが、本丸です。

本丸、天守。天守があるところには、沖見櫓という櫓があったそうです。 模擬天守は櫓台からはみ出した状態で建てられています。

天守から北側の眺望。真ん中の入り江の向こう側、左端に石垣がみえます。 そこが平戸城ができる前まで藩庁だった居館跡。

天守から西側の眺望。手前左下のところが本丸。本丸は広くありません。

天守から南側の眺望。真ん中右手に見える空間がこれまで歩いてきた二の丸部分。

南東の方向には渡ってきた平戸大橋が見えました。奥の方の陸地は九州本土。

天守から東側の眺望。真ん中手前の櫓は見奏櫓。右が懐柔櫓。左手海の向こうに壱岐島があります。

天守を出て、本丸外側、東側の郭から撮った天守。 天守は眺望は最高でしたが、中の資料館は設備は最新式ですが見どころが少なく残念。 入場料520円はちょっと高いと思いました。

懐柔櫓は1組2名限定の宿泊施設になっているそうです。1泊2日で33万円超。凄い!

安寿門。二の丸と東側の三の丸との間の門。結構なスケール。

安寿門を三の丸側から。

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