都立横網町公園を散歩する。

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今年は5月から12月まで江東区の文化財保護推進員の講座を受講していたのですが、 その最後の集まりで、今日は横網町公園に行ってきました。

ここは「関東大震災や東京空襲による悲劇を、記憶・伝承し、その犠牲になった多くの人々を慰霊する公園です」(昭和5年9月1日開園)。

もともとは陸軍被服廠という軍服や軍靴を製造する工場があったところで、 これが1922年に北区の赤羽台に移転し、1923年9月1日、震災発生時には運動公園や学校が建てられる予定の空き地になっていました。避難場所にちょうど良いということで多くの人が集まっていたところに、 各所で発生した火災の炎が強風にあおられて迫り、持ち込まれた家財道具などに引火し、火災旋風が発生しました。多くの避難者が巻き込まれ、東京府市あわせて7万人超といわれる関東大震災の死者のうち、3万8000人もの命がここで失われたそうです。

東京都慰霊堂

関東大震災による遭難者の御遺骨を納めるための霊堂として1930年に造られた建物。横網町公園開園と同日の同年9月1日に落成式典が行われました。

都立横網町公園

都立横網町公園

外観も内部も多くの宗教的要素を取り入れた折衷的構成となっています。

都立横網町公園

震災から22年後の昭和20年3月10日、米軍による東京空襲で、周辺地域は再び焦土と化しました。このとき亡くなられた方は8万人とも10万人以上ともいわれています。 慰霊堂の建物はこのとき被害を逃れました。その後、東京空襲で亡くなった方のご遺骨も納められ、 現在は、震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されているそうです。なかなかすごいところですね。。

奥の三重塔に納骨室があります。

東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑

都立横網町公園

碑の内部には「東京空襲犠牲者名簿」が納められていて、毎年3月10日と9月1日に内部が公開されているそうです。

戸籍を見るとうちも親族が空襲で亡くなっているみたいなので、もしかしたら名前があるかも。

幽冥鐘(ゆうめいしょう)

都立横網町公園

関東大震災により遭難死した死者を追悼するため、中国仏教徒から寄贈されたものだそうです。

震災遭難児童弔魂像

関東大震災により亡くなった東京市(当時)内の小学校児童約5千人の冥福を祈るため、建てられた弔魂碑。

都立横網町公園

戦争中の昭和19年(1944年)に、金属回収の対象となり撤去され、台座だけがむなしく残されていましたが、昭和36年(1961年)に当初の作者、小倉右一郎氏の高弟である、津上昌平、山畑阿利一の両氏によって、往時の群像を模して、再建されました。

関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑

都立横網町公園

関東大震災時の混乱のなか、あやまった策動と流言ひ語により、多くの朝鮮人の命が失われたことも忘れていはいけません。民衆だけでなく、警察も関わっていたのですよね。

日本庭園

都立横網町公園

現在の庭園は清澄庭園を模して造られているそうです。

東京都復興記念館

関東大震災の惨禍を永く後世に伝え、また官民協力して焦土と化した東京を復興させた当時の大事業を永久に記念するため、震災記念堂(現東京都慰霊堂)の付帯施設として昭和6年(1931年)に建てられました。

都立横網町公園

今年は関東大震災から100年の節目の年。記念館の展示もリニューアルされたそうです。

都立横網町公園

震災後の復興模型。東陽町周辺。



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