続100名城:鹿児島県の志布志城に行く

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志布志は、島津荘(しまづのしょう)の唯一の水門(みなと)として発達してきた町です。島津荘は平安時代末期の万寿3(1026)年、太宰府の大監(だいげん)平季基(たいらのすえもと)が現在の宮崎県都城を中心とした地域を開拓し、藤原頼通に寄進したのがはじまり。後に薩摩、大隅、日向国にまたがる日本最大の荘園になりました。

この頃、開拓者が貴族に寄進した理由は、国に払う税よりも安いお礼を払うことで、実質的な土地の管理者になれたから。貴族は「不輸の権」によって土地にかかる税金が免除されていたため、お礼をもらうだけでよかったのです。国は税がとれずに困ると思いますが、貴族が政治の実権を握っていたため、これで済んでいたようです。こうして日本中に荘園が広がっていきました。

鎌倉時代に移行し、島津荘の下司職・地頭職に惟宗忠久(これむねのただひさ)が任じられました。源頼朝の乳母の比企家とつながりがあった人物で、この人が島津を名乗ったのが島津氏のはじまりです。

志布志城は、シラス台地の東端に築かれた内城・松尾城・高城・新城の総称で、築城者・築城年代は不明ですが、南北朝時代に肝付氏が守っていたことが記録に残っているそうです。肝付氏は島津荘を開拓した平季基の娘を母に持つ肝付兼俊を祖とする一族で、鎌倉時代以降この地域の領有をめぐって島津氏と争いました。城主は楡井氏(南朝方)、畠山氏(北朝方)、新納氏(島津氏分家)、豊州家島津氏(島津氏分家)、肝付氏と替わり、1577年以降は島津宗家が領有。江戸時代に入り、元和の一国一城令で廃城となったようです。

志布志の町は、1871年の廃藩置県後、複数回所属県の変更が行われています。当初は鹿児島県に属しますが、もともと日向国の地域だったことから都城県に移り、1873年、宮崎県の誕生とともに宮崎県の所属になりました。1876年、宮崎県が鹿児島県に合併されたため鹿児島県に復帰し、1883年に宮崎県が再置された際にも鹿児島県に留まり、現在に至ります。

志布志市内の高台の公園から見た志布志の町。志布志城は写真の右側、見切れたところにあります。

城跡に行く前に志布志市埋蔵文化財センターに立ち寄り、志布志城(内城)のジオラマ展示を見学しました。観光ガイドのおばあさんに城の歴史も教えていただき、とても良かったです。

埋蔵文化財センターから2.5kmのところにある観光駐車場。城歩きはここからスタートします。

観光駐車場にあった志布志城の説明板。志布志城4城のうち現在見学が可能なのは、内城と松尾城の2城。今回は整備がすすんでいる内城を見学します。

駐車場の前の道を山のほうに向かって進むと、右に志布志城(内城)の看板が見えてきました。

大手口の入口にある志布志城の説明板。

説明板のところを左に進んでいくと、志布志城の入口が見えてきました。

志布志城の入口。縄張り図によると左の土塁が曲輪7で、右の土塁が曲輪8。

入口を進んだ正面に曲輪3、通称本丸があります。

正面突き当りを東にまわったところにある階段から本丸に上がりました。

上がってきた場所は曲輪3の下段。発掘調査で柱穴が検出され、陶磁器、釘、銅銭などが出土したとのこと。

上がってきた階段を見下ろしたところ。向こうの正面に見える曲輪は、本丸の東隣にある曲輪2。

北側の階段をあがって曲輪3の上段に向かいます。

曲輪3の上段。ここには戦闘時にたてこもる領主の館があったようです。

曲輪3上段を反対(北)側から。島津宗家が2家に分かれていた時代、宗家6代の氏久は、松尾城を守っていたいとこの新納実久(にいろさねひさ)とともに、内城にいた足利一門の畠山直顕を破った後、ここを居城として大隅・日向の経営をすすめたとのこと。

曲輪3上段(本丸)の北端にある櫓台に祀られている三宝荒神(さんぽうこうじん)は、新納氏の守護神。新納氏は、14世紀半ばから15世紀にかけて、約150年、志布志城の城主をつとめました。

櫓台から堀底を見下ろしたところ。かなりの高さで迫力がありました。

櫓台から見た本丸。

曲輪3上段から本丸東側の堀底道に繋がる階段を下りたところ。 本丸だけ見て戻る予定でしたが、意外と本丸が近かったのでもう少し先まで見て回ることにしました。



本丸の東側、搦手口に続く堀底道。

本丸の北隣、中野久尾(なかのくび)と呼ばれる曲輪(曲輪5)。あまり整備されている様子がありませんでした。

中野久尾(曲輪5)の北西端。ここから城の西側を南に進んで大手口のほうに戻ります。

大空堀。「幅が広く高低差の大きい、志布志城を代表する空堀」とのこと。

大空堀で記念撮影。

中野久尾(曲輪4)。

中野久尾(曲輪4)の上から、本丸との間の空堀を見下ろしたところ。

矢倉場(曲輪1)。

矢倉場にある新納時久公の墓。時久は島津宗家4代・島津忠宗の4男で新納氏の祖。

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