"東京の多彩な建築を体験し楽しむイベント"東京建築祭2025なるものが開催されていることを知り、24日と25日の2日間で4か所の建物をまわってきました。今回の記事は、24日に訪れた2か所のレポートです。
マーチエキュート神田万世橋(旧万世橋駅)
万世橋駅は、1912年(明治45)から1943年(昭和18)年まで存在した中央本線の駅です。
2013年(平成25)、その跡地に「マチエキュート神田万世橋」という鉄道遺構をリノベーションした商業施設が作られ、
普段から駅のホームや壁面、階段の遺構を見学することができるようになっています。
東京建築祭では、ここに特別な建築資料等の展示を行っているとのこと。
私にとって万世橋付近は子どものころに父親とよく出かけた懐かしい場所ですが、万世橋駅の遺構をちゃんと見たことがなかったので、この機会に見学してみることにしました。
ここにはかつて江戸城の筋違門とその門前の広場があり、その時代から栄えた場所だったそうです。
開業した当時の万世橋駅はターミナル駅で、駅舎も後年東京駅を設計する辰野金吾による赤レンガ造りの立派なものでした。しかし、1919年(大正8)に中央本線が東京駅まで延伸すると中間駅となり、利用客が減少するようになりました。
関東大震災後の1925年(大正14)に近隣の秋葉原駅が旅客営業を開始。1932年(昭和7)に総武線の御茶ノ水-両国駅間が開通すると利用客はさらに減少。1943年(昭和18)、戦時下において不要不急駅とされて営業を休止、廃駅となりました。
現在、駅舎の跡地には、JR神田万世橋ビルが建てられています。
自分の記憶ではぼんやりですがここに交通博物館があったことは覚えています。
関東大震災で初代の駅舎が焼失した後は簡素な駅舎に変わり、
1936年(昭和11)に鉄道博物館が建設されると駅の機能はその一角に縮小されました。
交通博物館は2006年(平成18)に閉館し、現在は大宮に場所を移しています。
栄えていた頃のジオラマ。
マーチエキュート神田万世橋(旧万世橋駅)。上のジオラマの駅舎の後ろにある線路部分です。写真手前の扉の向こうに廃駅になるまで利用されていたホームへの階段(1935階段)が残っています。
1935階段を上がります。
階段踊り場にある展示。
ホームへ。
ホームに上がってきました。東京方面に向かう列車。
高尾方面へ向かう列車。
ホームから秋葉原の方向。奥に山手線の高架橋が見えてます。
ホームには展望デッキが作られています。向こう側に見える線路にもかつてはホームがありましたが、秋葉原駅の開業後になくなったそう。
デッキ西側から東京方面に向かう列車を撮影。
デッキ西側から高尾方面に向かう列車を撮影。
駅開業当初よりある1912階段。鉄道博物館が出来てからは博物館に直接入れる階段になったとのこと。
1912階段。
1912階段。
1912階段。
高架下アーチ部分に設けられた特別展示。
特別展示。
特別展示。
高架下アーチ部分に設けられた特別展示。
特別展示。
高架下アーチ。
神田川。
外にある万世橋駅舎の基礎展示。
高架橋東端。
万世橋から。こういうかたちで遺構が残されているのは素晴らしいですね。
続いて淡路町から地下鉄に乗って本郷三丁目で下車。 事前申込不要で特別公開がされている東京大学 理学部2号館に向かいました。
東京大学 理学部2号館
1934年(昭和9)竣工。設計者の内田祥三は、建築学科教授で後に東京帝国大学総長になった人物。
関東大震災後の大学構内の復旧を主導し、内田ゴシックといわれる建物を数多く建設しました。
特別公開は内部の螺旋階段と4階にある講堂です。
西側外観。
螺旋階段。
4階講堂。
4階講堂。
西側外観。
建物祭の日程がちょうど東大の5月祭と重なっていて、本郷三丁目の駅から大学までの道路は大混雑でした。理学部2号館は大学の敷地の南西にあり駅から最も近かったはずなのに、5月祭の人の流れについていってしまい、かなり遠回りして現地に到着。大混雑のなかを歩いてすごく疲れましたが、元気な東大生の姿とその他の建物も少し見られたのはよかったです。
東京大学 総合図書館
1928年(昭和3)竣工。内田祥三設計。
東京大学 医学部2号館(本館)
1937年(昭和12)竣工。内田祥三設計。