東京地方は、梅雨入りしたと思った矢先に梅雨が明けたような猛暑が続いています。
先週からバテ気味だったので今日は有休を取得。
といっても何処かに出かけたくなり、一度行ってみたいと思っていた鎌倉の明月院に行ってきました。
家からは遠いのですが、いちおう電車一本、乗り換えなしで行くことができる場所だったことも決め手になりました。
JR北鎌倉駅から徒歩10分、「明月院ブルー」と呼ばれる青い姫あじさいが有名です。
入口を入ったところの左手に鎌倉幕府5代執権北条時頼の墓所があります。時頼は1247年の宝治合戦で有力御家人だった三浦氏を滅ぼし、北条得宗家の専制政治を確立させた人物。1256年、この地に最明寺というお寺を建て、同年に執権を辞して出家。1263年に37歳でなくなるまで政治の実権を握りながら隠居生活を送ったそう。
明月院ブルーではないあじさいも綺麗に咲いていました。
山内首藤俊通(やまのうちすどうとしみち)公墓所。明月院は時頼の最明寺以前に、俊通の子の経俊が1156年の平治の乱で平清盛に敗れて京都で亡くなった父を供養するため、1160年に「明月庵」を創建したのがそのはじまりでした。この墓石は江戸時代後期に、経俊の子孫で当時長州藩の家老だった山内縫殿廣道が俊通の埋葬地を探し当てて京都に建立したもの。令和5年10月にここに改葬され、860年ぶりに俊通の御霊が帰還したとのことです。
やぐらは鎌倉中期から室町末期につくられたお墓。関東管領上杉憲方が生前に自分の墓所とし、葬られたとされていますが、もともとは経俊が俊通を偲ぶために造ったものと伝わるそう。
開山堂。明月院が禅興寺といわれた1380年頃に建てられた建物。最明寺が時頼没後に廃絶した後、子の北条時宗が最明寺を前身とする禅興寺を創建。その禅興寺も衰退しますが、1379年、関東公方の足利氏満が関東管領の上杉憲方に再建を命じ、上杉憲方が中興。明治初年に廃寺となり、筆頭の支院だった明月院のみが残り、現在に至ります。。色々名前を変えながら、今日に至るので境内には色々なものがあるということですね。
花想い地蔵。
本堂。
六地蔵。
本堂後庭園も入りました。
花菖蒲はほぼ終了。今年はもう撮る機会がないかな。。
オオシオカラトンボ。明月院はトンボもブルーですね。
明月院ブルーのあじさいが綺麗でした。
青地蔵。
赤地蔵。
本堂後庭園はここまで。
悟りの丸窓。順番待ちの列に並んで撮ると落ち着いて撮れないですね。。
山門。
山門に至る道が明月院の撮影ポイントですが人でいっぱい。
平日なら少しは空いているかと思ったのですが、年寄りや外国人、おばさまのグループには関係ないですね。
竹林。
暑かったけど鎌倉のおしゃれな雰囲気を感じられてよかったです。