昨年5月以来の続100名城巡りのため、12月20日から2泊3日で大阪に行ってきました。大阪までは新幹線で、そこからレンタカー移動。東海道新幹線は最近良く写真を撮りに出かけていますが、実際に乗るのは10数年ぶりじゃないかしら。 電車旅はとても新鮮でした(途中の天気が悪くて富士山が見られなかったのは残念)。大阪に到着し、最初に向かったのはこちら。四條畷市と大東市にまたがる飯盛山(314m)上に築かれた山城、飯盛城です。
飯盛城
続100名城スタンプは城跡にないので、車で15分ほどの場所にある大東市の歴史民俗資料館で先に押してきました。 資料館で流れていたビデオで、城郭研究の第一人者・中井均先生が城の見どころを紹介されていたので、それを参考に見て回っていきます。
「キャンピィだいとう」という施設近くの駐車場に着いたのは、12:10。
途中は、怖くなるくらい道幅の狭いところがあったり、大阪桐蔭高校野球部のグランドも見えたりして、ちょっと心がどきどきしました。
駐車場のところにあった地図で城の全容を確認。城跡はハイキングコースになっています。
まずはIX郭の虎口を目指し、そこから北方向を順に見ていくつもり。
歩き始めてすぐ、地図に描かれている桜池が左に見えました。
分かれ道を右左右と進めば虎口に着けると思いつつ、歩いて行ったのですが、、
途中で間違えたようで、地図の真ん中少し下に見える楠公寺に着いてしまいました。こちらは、楠木正成の嫡男・正行をはじめとする、1348年に起こった「四條畷の戦い」の戦死者を弔うために開山したお寺だそうです。ここも城跡(X郭)なのでまぁいいでしょう。。このまま先に進み、最初の予定の虎口などは帰りがけに見ることにします。
駐車場から20分ほどで展望台のあるII郭(本郭)に着きました。山城だけにもっと苦労すると思っていたので拍子抜け。時刻は12:30。ハイカーがたくさん来てました。
それにしても素晴らしい眺望です。大阪市内の高層ビルが綺麗に見えました。
左手にぽつんと立つ高いビルが「あべのハルカス」だそうです。
拡大した写真。中央には大阪城が見えています。左手、赤い橋の奥に建っている高層ビルはさきしまコスモタワー。
中央奥、海の向こうにうっすら見えている山は神戸の六甲山。
実はこの城、明日行く予定だったのを天気予報が雨だったので、急遽今日に変えたのですが、今日で大正解でした。
現在地でもう一度地図を確認。北端の目的地はガイドで270度眺望スポットと紹介されているVI郭です。
III郭。左手に下に下りれる通路があり、そこから石垣が見られるとのことで行ってみます。
III郭の下、西側の石垣(ガイド6、7)。飯盛城の石垣は東側斜面に多く、西側は珍しいのだそう。
III郭に戻り、先へ。III郭とIV郭の間は急坂。落ち葉で滑らないよう注意しながら下りました。
IV郭に上がるところ。
IV郭の上から上がってきたところを振り返り。
V郭の入口。城の北エリアは防御空間だったと考えられているそうで、そのせいか郭と郭の間はアップダウンが多かったです。
V郭(御体塚郭)。郭の名は、三好長慶が亡くなった後、その死を隠されていた数年間、ここに死体が仮埋葬されていたと伝わることに由来しています。大きな岩の上に石碑が建っていますが、城とは全く関係のない、地元中学の校長の300回登山を記念した碑。
V郭の石垣(ガイド18)。
V郭とVI郭の間の堀切。中井先生が紹介していた見どころの一つ。
VI郭。12:55。
北側の眺望。写真正面の山が切れた右端は京都の方向。ちょうど正面の山あたりが、三好長慶が1560年に飯盛城に移る前まで居城とした芥川山城のあった場所です。長慶が飯盛城に移ってからは、息子の義興が城主でした。義興は父にも劣らない智勇兼備の武将で将来を嘱望されていましたが、1563年、22歳で病死。翌1564年に長慶も43歳に亡くなりますが、息子の死のショックが原因といわれています。その後、後継者たちは分裂し、信長にみな敗れるという歴史。
西方向をパノラマ撮影。小さな写真でもあべのハルカスは目立ちますね。
南西方向。あべのハルカスよりも南のほうもよく見えます。
長慶は城下町を造らなかったそうですが、大阪全体を城下町と考えていたのかしら。
II郭(本郭)までの戻りは曲輪の周囲の石垣を見ながら帰ります。
先に見た堀切を反対側から。
V郭の石垣(ガイド14、15、16のいずれか?)
V郭の石垣(ガイド14、15、16のいずれか?)
V郭の石垣(ガイド14、15、16のいずれか?)
本郭下の石垣(ガイド3、4?)。石垣はガイドマップのどの部分なのかははっきりわかりませんでしたが、それなりの数が見られて満足しました。
II郭の展望台が見えてきました。
II郭から。ここから城の南側を見ていきます。先のI郭(高櫓郭)は、結構な高さの上にあります。
I郭(高櫓郭)。銅像は三好長慶ではなく楠木正行。昭和12年建立、昭和47年再建。
三好長慶が注目されるようになってきたのはここ最近のこと。
特に戦前は楠木正成がもてはやされていたので、楠木推しだったのでしょう。
I郭からII郭を見下ろしたところ。
I郭(高櫓郭)南側の土橋。説明板を見るまえに遺構に気づけるとちょっとうれしいです。堀切は草でよくわかりませんでしたが、、
VIII郭(千畳郭)は、文字通り広大な広さの曲輪。上段にはNHK・FMの送信所が建っています。建物の礎石などが出土して、往時は居住空間として使われていたと考えられています。
VIII郭(千畳郭)下段。南側から北を見たところ。
南に進んでこちらが虎口。右手の土塁の上にはIX(南丸)があるらしい。
虎口を下のほうから。
さらに下の位置から。
以上で終了。はじめに間違えた分かれ道は、ここを左に入らなければならなかったところそのまま右に行ってしまったようです。難易度高かった。