今日は三好長慶DAYにして、河内国・飯盛城のあとに摂津国・芥川山城(あくたがわさんじょう)にも行ってきました。 標高182.69mの三好山に築かれた摂津国最大の規模の山城で、天下人となった三好長慶が飯盛城に移るまでの約7年間(1553-1560年)居城とした城です。
歴史
以下、高槻市のサイトが良くまとまっているのでそちらをご覧ください。
高槻市ホームページはこちら 高槻市は、古くから交通の要衝、政治・経済の中核として栄え、国指定史跡の安満遺跡や今城塚古墳など豊かな歴史資産に恵まれる一方、豊かな自然や活気ある中心市街地が広がる「住みやすい」まちです。
室町幕府では、応仁の乱後、将軍家はじめ三管領家の斯波氏、畠山氏の両家が家督争いをして衰退する中、細川氏が唯一勢力を維持して実権を掌握します。しかし、細川家も当主の細川政元が養子を3人もとったことから争いが起こり、細川氏の家臣だった三好長慶に政権を奪われることになりました。
1568年信長の上洛の際に三好一族らは追われ、足利義昭の重臣・和田惟政が城主になりますが、翌年惟政は平城の高槻城に拠点を移します。芥川山城は徐々に機能を失っていったようです。
芥川山城
移動はレンタカーで。高槻城跡のそばにある「高槻市しろあと歴史館」で続100名城スタンプを押印後、 芥川山城最寄りの「摂津峡公園下の口駐車場」に車を停めました。
駐車場に着いたのは15:30。この時季、15時過ぎると日没が気になります。
今日は本来この城だけに行く予定でしたが、明日の天気予報が悪いことから飯盛城にも行くことにして、遅くなってしまいました。
駐車場のおじさんに登城口の場所を教えてもらった後で、戻って来るのが駐車場の開場時間の17:00を少し過ぎても良いか確認したところ、「大丈夫」といってくれたので慌てずに済みました。ただ、真っ暗になったら危ないので、早歩きですすみます。
登り口までは車で来た道を少し戻る感じ。途中にある温泉施設の有料駐車場に停めたほうが近くてよかったかも。
案内の標識に従って坂道を上がっていきます。自分は真っ平らな埋立地に住んでいるので、こういうところに住んでいる人は大変だなと思いました。。
16:00、登城口に到着。右に行くと塚脇ルート、左に行くと大手筋ルート。慣れない人は塚脇ルートがよいとのことでそちらから行くことにしました。
登城口にあった絵図。いい絵図ですが、自分がいま何処にいて、塚脇ルートと大手筋ルートが何処を通るのかがわかったらよかったと思いました。
山頂までの道は案内が細かくあり迷うことはありません。
この分かれ道は左へ。
どんどん進みます。
道の右手に大きな曲輪があったので入ってみました。石碑があったので覗いてみるとお墓でした。。
曲輪のほうから歩いてきた道を見たところ。反対側は眺望がひらけてました。
素人でもはっきりわかる土橋を通ります。
こちらも明らかな虎口。
斜面の細い道を歩いて行くと、、
細長い曲輪に出ました。高槻市ホームページにある詳細図の17番の曲輪でしょうか。左手を下りていくと大手石垣がみられる大手筋ルート。帰りはそこを通って戻ることにして、まずは山頂の主郭へ向かいます。
山頂の手前に見晴らしのいいところがありました。
詳細図11番の曲輪でしょうか。
左端の高いビルが見えるところが高槻駅、中央奥の山が飯盛城のあるところ、右手奥のビルが立ち並ぶところが大阪市内です。
時刻は16:20過ぎ。登城口からここまで大体25分でした。少し休憩しました。
10分ほどして出発。山頂まであと少しです。
ここは9番の曲輪?山頂(主郭)は目の前の高いところのようです。
9番の曲輪?からの眺め。
少し登ったところに、、
山頂に着きました。
高槻駅の方向。
中央奥に見える山の手前が飯盛山、後ろが生駒山だそうです。
大阪市内のビル群。左寄りの一番高いビルがあべのハルカスのようです。
奥にも曲輪がみえます。主郭御殿があったところだそう。
三好長慶社。
奥が主郭御殿跡。
16:45。そろそろ山を下りましょう。先ほどの分岐までもどり、大手石垣だけみて帰ります。
大手石垣。
イノシシよけの柵。写真は明るく撮れていますが、もう周りはかなり薄暗い状態です。
大手筋ルートから人家のあるところまで戻ってきました。無事17:20頃までには駐車場に戻れました。