大阪の続100名城3城巡り、前日の河内国・飯盛城、摂津国・芥川山城に続いて、本日、和泉国の岸和田城に行ってきました。
歴史
築城年代は不明ですが、南北朝時代に岸と呼ばれていたこの地域に楠木正成の一族の和田氏が城を築いたのがはじまりといわれます。大きな転機が訪れたのは秀吉による紀州征伐の頃で平定後に城主となった小出秀政により、現在の近世城郭の形に改修されました。関ケ原で小出秀政は西軍でしたが、次男が東軍に与し功績をあげてそのまま存続。元和5年(1619)松平康重が入封して城下町や紀州街道を整備、寛永17年(1640)岡部宣勝が入封すると、岡部氏が13代続いて明治維新を迎えました。
岸和田城
大阪市内からレンタカーで移動。眼下に見える駐車場に車を停めて、本丸と二の丸をコの字型に囲っている二の曲輪の東端から攻城をスタートしました。
江戸時代の絵図によると、駐車場のある場所は右に見える二の丸の堀が続いていて、写真の左端、見切れたあたりに城に入る橋が架かっていたようです。城の前を通る道路の一本奥に紀州街道と呼ばれた道が今も残っていて、黒い瓦の屋根が並ぶ様子が当時の雰囲気を残しています。
ほぼ同じ位置から反対方向を見ると本丸の天守が見えます。現在の岸和田城には建物の遺構はなく、天守などはすべて昭和の時代に復興されたもの。かつては5層の天守がありましたが江戸時代後期に落雷で焼失すると、以後、再建されなかったそうです。手前は二の丸。水堀を仕切る土橋を渡ってそちらに向かいます。
南側の橋から二の丸へ。左が二の丸、右が本丸。
二の丸跡。ここには御殿があったそう。
城の絵図を確認します。方角は左が北、右が南、上が東で、下が西。
このうち今残っているのは、本丸、二の丸の石垣と周辺の堀、石垣の一部です。
今は右側から二の丸に入ってきたところ。
二の丸側から本丸方向を見たところ。昭和の復興建造物とはいえ、なかなか立派です。
それでは本丸に入っていきましょう。
左のほうから進むと、、
すぐに天守が見えてきました。
昭和29年に建てられた三層の天守。
小天守の入口から見た本丸の庭。昭和28年に作庭されたお庭です。奥の隅櫓も復興。
天守内部は資料館になっていますが撮影禁止なので最上階の展望台へ。北西方向。
海側は町人地のあったところ。
南西方向。堀の周りは二の曲輪が囲っていました。緑の多いところは岸和田城の新御茶屋跡に昭和の初め、岸和田の財閥、寺田家が造った庭園。
南東方向。山側は武家地だったところ。
北東方向。こちら側の二の曲輪跡には、現在、高校のグランドとその左には市役所が建っています。
本丸の周囲の堀と石垣を反時計回りに見ていきます。
見どころは石垣の裾に造られた犬走りと修復、改修の時期によって異なる石垣の形状。
茶色の石垣はもっと後の時代に修復されたところらしいです。
先ほど天守からみた財閥の造った庭園。現在はレストラン。
南の方向から。犬走り。
東側から。どこから見てもかっこいいですね。
岸城神社(きしきじんじゃ)
二の曲輪の外側には、さらにコノ字型に三の曲輪が囲っていました。
小出秀政の時代に城内に造られた神社。
さすがだんじり祭り発祥の神社。立派な社殿です。
境内の稲荷神社。
佐々木家住宅
武家屋敷の長屋門が残ります。今も佐々木さんがお住まいのようでした。すごい。
二の曲輪北東方向から本丸を見たところ。
市役所脇の階段を下りると二の曲輪石垣が見られます。下はもともと水堀だったところ。
左が二の丸、右が二の曲輪の石垣。二の丸の石垣には巻き石垣と呼ばれる崩落を防ぐ補強のための石垣が確認できます。
二の曲輪の石垣。本当は石垣のところまで堀がありましたが、一部埋め立てられていてこうした状態になっています。
何か高松城を思い出しました。
二の丸の北端。伏見櫓跡の石垣。
伏見櫓跡の石垣のほうから二の曲輪の石垣を見たところ。
南西側から二の丸石垣。
南西側二の丸石垣と二の曲輪石垣。1枚目の写真は右の二の曲輪石垣の上から撮りました。
紀州街道
だんじり祭りの練習で太鼓をたたく音がずっと聞こえていました。
惣構えの防潮石垣
攻城の所要時間は2時間30分でした。続100名城は山城が多いですがやっぱり私は町のなかの城が好き。とても楽しい時間でした。