鹿児島県指宿市開聞十町に鎮座する薩摩国一宮・枚聞神社にお参りする

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薩摩半島の最南端、開聞岳の北麓に鎮座する薩摩国一宮。 南国の雰囲気が漂う神社です。

枚聞神社の御祭神と由緒

御祭神はオオヒルメムチ。

オオヒルメムチは現在、天照大神の別名とされていますが、元々は地元の祖霊神と思われます。

背後の開聞岳は「開聞神」とも表記され、昔から航海の目印でもありました。 航海安全・漁業守護の神として船人達から厚く信仰されており、 山頂には奥宮として御嶽神社が祀られています。

参拝日:2014年3月15日(土)

もうひとつの薩摩国一宮、川内市の新田神社より車で移動し、着いたのは15:20。

一の鳥居

逆光ですが、鳥居の後ろにちらっと開聞岳が見えています。

枚聞神社

二の鳥居

両脇に御門神社。右に一部見えている大木は樹齢800年のクスノキ。

枚聞神社

勅使殿(ちょくしでん)と長庁(ながちょう)

中央の勅使殿と左右の長庁は、鹿児島地方独特の建物だそうです。 そういえば、新田神社も同じような構造になっていました。

枚聞神社

本殿

慶長15年(1610)島津家17代当主の島津義弘が寄進し、 天明7年(1787)島津家25代当主で薩摩藩8代藩主の島津重豪によって改修されたものだそうです。

枚聞神社

神馬(しんめ)

この馬は、天智天皇の御巡幸伝説によるもの。 天智天皇には開聞岳の麓で生まれた皇后・大宮姫がいたが姫は都を追われて開聞岳に戻り、 天智天皇はこれを追ってこの地にこられて、79歳で亡くなったという。
天智天皇にはそのような后はおらず、この伝説は一般的には俗信とされていますが、 ヤマト政権が確立したといえるのは40代天武天皇になってからで、 古事記や日本書紀ができたのもその後のことですから、真相は謎・・。 火のない所に煙は立たぬといいますが、はまっていくとわけわからなくなってしまいます。。

枚聞神社

開聞岳

最後に神社のそばから開聞岳を撮りました。 近くにこんな山があれば誰でもご神体にしてしまうでしょう。

鎌倉時代以降、新田神社と一之宮争いがあったようなのですが、 そんなことよりもっと大きなスケールを感じる神社でした。

枚聞神社

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