昨日は、夕方に対馬から壱岐に入り、郷ノ浦のホテルに宿泊。 朝一番にレンタカーを借り、私の一の宮巡拝の最終地、天手長男(あまのたながお)神社に向かいました。 小雪が舞って、ラストにふさわしい雰囲気でした。
天手長男神社の御祭神と由緒
御祭神は、天忍穂耳尊、天鈿女命、天手力男命。
天忍穂耳尊は、アマテラスの御子で、天孫ニニギの父。
アメノウヅメは、アマテラスが天岩屋戸の中にお隠れになったときに岩戸の前で踊った神で、
アメノタヂカラオは岩戸を開いてアマテラスを引きずり出した神さま。
弘仁2年(811)に「天手長雄神社」として創建、後に「天手長男神社」と一部表記変更されています。
宗像大社(福岡県)の「宗像大菩薩御縁起」によれば、神功皇后の三韓征伐(年代不詳)の際、
宗大臣(ムナカタの神)が、「御手長」という旗竿に忠臣・武内宿禰(たけうちのすくね)が持っていた紅白2本の旗をつけて振り、
敵を翻弄したという伝承があり、その旗竿がこの神社の名前の由来であるとのこと。
平安時代にまとめられた「延喜式神名帳」にも記載された格式高い神社ですが、
鎌倉時代の蒙古襲来により、所在がわからなくなってしまったそうです。
江戸時代に入り、国学者・橘三喜(たちばな みつよし)が調査を行い、現在地を鎮座地と推定しました。
しかし、近年の研究ではこれに疑問がもたれ、
近くに鎮座する「興神社」がかつての壱岐国一宮・天手長男神社なのではないかとする説が有力なのだそうです。
うーむ、となると「興神社」も参拝したほうがよさそうですね。このあと行ってみます。
ただ、私の一の宮巡拝旅は、一の宮巡拝会が選定した神社を巡拝する旅ですから、
御朱印はこちらでいただくことにします。
参拝日:2014年12月21日(日)
神社入口。小山の山頂に本殿があります。 前の道路をもう少し進んだ先に一の鳥居があったようですが、こちらから入ってしまいました。
参道を入ったところにレンタカーを駐車。
二の鳥居。
石段。137段あるそう。
三の鳥居と社殿。
社殿正面。
社殿を斜めから。奥の建物は本殿を覆う鞘堂。 境内は狭く社殿も簡素。一の宮らしくないといえばそんな気もしました。。
社殿隣の石祠。
境内の粟島神社。子供の無病息災を願う産着が奉納されているそうです。
天手長男神社の御朱印
神職が常駐する神社ではないため、確実に御朱印をいただくためには事前に連絡をしておくことが肝要です。
旅行前に電話したところ、「その日は午後から出かけるので、10:00までぐらいなら大丈夫」とのことでした。連絡してよかった。。
昨日、対馬から壱岐に向かうフェリーの待ち時間にもう一度電話し、今日9:00ごろ行きますと伝えていました。
参拝を済ませると、社務所に神職さんがいらしており、「電話したものです」と伝えて、無事御朱印を頂くことができました。
これで2010年からはじめた全国一の宮巡拝(約100社)は、足かけ5年で完拝となりました。
我ながらよくやりました。新一の宮に分類される6社については除外してきましたが、
今後はそれらもお参りしていこうと思います。