長崎県対馬市峰町木坂に鎮座する対馬国一宮・海神神社にお参りする

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00:10に福岡・博多港を出港し、対馬の厳原港に到着。7:00にフェリーを下船して「厳原八幡宮神社」を参拝。 厳原でレンタカー借りて北に向かって走ること約2時間。対馬の上島、 伊豆山の麓に鎮座する「対馬国一宮・海神神社」に9:50頃着きました。

海神神社

海神神社の御祭神と由緒

御祭神は、御主神が豊玉姫命。相殿神が彦火火出見命(ホオリ)、鵜茅草葺不合命、ほか二神。 トヨタマヒメは海神ワダツミの娘。ホオリは夫で、鵜茅草葺不合命は子。 鵜茅草葺不合命の子が、初代天皇・神武天皇になります。

神話によれば、高天原に生まれた天地開闢(てんちかいびゃく)の神・イザナギとイザナミは、 天の沼矛(あめのぬほこ)で大地をかき混ぜ出来上がったオノゴロ島に降り立ち、 そこから海を渡って、建国の拠点となるべき八つの島を見つけました。 それが淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州といわれています。

海神神社のご神山・伊豆山は、神話の時代から、海を渡る人々の目標になったと考えられます。 伊豆(イズ、厳)ということばには、最果て、最高という意味があり、神霊の居着く所とされました。

もう一つ、海神神社には木坂八幡宮という別名があります。 社伝によれば、26代継体天皇のときに、神功皇后が海神を祀らせた所として伊豆山に祭殿が建てられたとのこと。 我が国の八幡宮発祥の地ともいわれており、八幡さまの総本宮といわれる大分の宇佐神宮はここから分祀されたという説もあるそうです。

社殿は、伊豆山の中腹・伊豆原と呼ばれる平坦地に建てられています。 ちなみに、厳原港のある「厳原」は、明治に入ってから付けられた地名で、 この場所に由来しているのだそうです。 古来よりここは相当な聖地だったのでしょう。

参拝日:2014年12月20日(土)

駐車場の反対側はすぐ海です。海の先には朝鮮半島。

海神神社

一の鳥居。

海神神社

案内板。

海神神社

280段といわれる石段を登っていきます。

海神神社

ニの鳥居。

海神神社

続く石段。

海神神社

三の鳥居。

海神神社

拝殿。

海神神社

本殿。

海神神社

本殿右側に並ぶ、摂社・末社。

海神神社

摂社・末社を右側から。

海神神社

雨も上がり、日も射しはじめ、絶好のタイミングでの参拝となりました。 波の音や木々が風に揺れる音が心地よい、すがすがしい場所でした。

海神神社の御朱印

海神神社には神職が常駐しておりません。 行ったときに御朱印をいただけないと困るので、旅行前に連絡して今日参拝に行くことを伝え、 御朱印をいただく約束をしていました。

しかし、社務所に人はおらず、先の連絡先にふたたび電話。 旅行前に電話したときはなかなか応答がなく、何日もかけてやっと繋がったのでちょっと不安になりましたが、 今日はすぐに繋がり、20分くらいでここに来てくれるとのこと。

社務所の前に御朱印帳を置いといてくれればいいというのでそのとおりにし、 待っている間に、目の前の海岸にある"ヤクマの塔"と"藻小屋"を見学することにしました。

ヤクマの塔

ヤクマの塔とは、 この地で毎年旧暦6月の初午(はつうま)の日に実施される「ヤクマ祭り」で築かれる円錐状の石塔。 ヤクマ祭りは、天道信仰(太陽信仰)に基づく、男児の無事成長や家内安全などを祈願する行事だそうです。

海神神社

木坂の藻小屋

藻小屋は、かつて木坂集落の住民が畑の肥料にするため、海岸に漂着した藻を集めて乾かすために用いた石造の小屋で、 対馬独特の建築物だそうです。当時から現存するものはなく、復元されたものだけが残っています。

海神神社

社務所に戻ると、2人のおじさんが御朱印の対応してくれていました。 とても丁寧な対応でありがたかったです。

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