8:30に松江市内のホテルを出発。今日は朝から晴れです。
松江城【出雲国】の歴史
鎌倉時代前期に、末次氏により築かれた末次城がはじまり。
末次氏は近江源氏の分流で出雲源氏とよばれる出雲佐々木流富田氏の庶流。
城は、1571年に毛利元就に攻められ落城。
元就の八男が「末次元康」と名乗り継承しましたが、のちに廃城になったと伝えられています。
1600年、関ヶ原の戦い後、毛利氏が長門に転封になると、
出雲隠岐24万石が、豊臣恩顧の外様大名、堀尾吉晴と
その子・忠氏に与えられ、遠江浜松より月山富田城に入城しました。
月山富田城は、戦国時代を通して、難攻不落といわれた要害でしたが、
近世城下町の形成には不利な立地であったため、新城(松江城)の建築に着手します。
ところが、当主忠氏は、1604年、建設地を選定したところで、27歳で早世。
跡を継いだ幼少の忠晴に代わり、隠居していた祖父の吉晴が政務を執り行い、
1611年に城が完成しました。
1633年、忠晴が34歳で死去し、堀尾氏は無嗣改易。
1634年、京極忠高が若狭小浜藩より26万石で入城しました。
このとき、三の丸が造営され、現在に残る形が完成しています。
1637年、京極氏も忠高に嗣子がなく廃絶(後に播磨龍野で再興)すると、
1638年、松平直政(結城秀康の三男)が信州松本藩より出雲186000石で入城。
隠岐はこのとき天領となりますが代理として統治を継続。
以後、明治維新まで続きました。
訪問記
城山西駐車場に車を止め、持ってきた折りたたみ自転車で城内を移動しました。
はじめに城山稲荷神社で参拝。観光案内所で自転車を預かってもらって、天守閣に入りました。
(8:45-11:00)
天守(現存)
天守地下の井戸
松江城模型
天守からの眺め
松江神社
明治10年、松平直政を御祭神とする楽山神社として創建されたのがはじまり。明治32年に二の丸上の段に遷座。
興雲閣
明治36年、松江神社の隣地に建てられた明治天皇行幸の際の宿所。日露戦争勃発により明治天皇の行幸は実現しなかったが、 明治40年に皇太子(のちの大正天皇)が利用されました。
米蔵跡
馬留跡
右が太鼓櫓、左が中櫓。
内濠南東方向から天守を望む
城山稲荷神社
城内にある稲荷神社。松平直政が火難除けに建てたと言われています。 城内ですが、参拝者の出入りは江戸時代より自由だったそうです。
千体の石狐が迎えてくれます。下の二体は「小泉八雲」が気に入っていたものとのこと。
塩見縄手
宍道湖夕日スポット
天気の良いときにと昨日に続き、立ち寄りました。昨日から感じていたことですが、島根は町がとてもきれいです。
(11:20-11:40)
2013_5・山陰1泊4日ドライブ旅行(2日目:松江城、熊野大社、月山富田城、足立美術館)