日本100名城:島根県鹿足郡津和野町の津和野城に行く

  •  
  •  
  • Category:

山口市から山口線と並行に走る国道9号線を通り、津和野へ移動。着いたのは13:50でした。

津和野城は、標高367mの霊亀山に築かれた山城です。 城跡までは、登城口から歩くと40分以上かかりますが、中腹の町営のリフトに乗ると約20分で着くことができます。 山登りは大変なのでリフトを利用しました。リフトの運行時間は9:00-16:30。ただ冬期(12-2月)は平日が運休のため、注意が必要です。

太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)

「リフトのりば」の100m上に立派な神社がありますので、"神社好き"として先にそちらに参拝しました。

太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、 三本松城(津和野城)の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。 以来、歴代の藩主の崇敬が篤く、明治の版籍奉還に至るまで、藩主亀井家の祈願所として維持され、 藩主以外の参拝は禁止されておりましたが、廃藩後は広く一般庶民も参拝できるようになりました。


この神社は、境内のなかを、元宮~命婦社~新殿~新殿裏奉拝所の順に「四ヶ所参り」するのが習わしだそうですが、 そうとは知らず「命婦社」を飛ばしてしまいました。御利益が減っていないことを祈ります。。

元宮

太皷谷稲成神社

新殿

太皷谷稲成神社

新殿の狛狐さん。

太皷谷稲成神社

太皷谷稲成神社

新殿裏奉拝所

太皷谷稲成神社

千本鳥居

表参道からは約1000本の鳥居をくぐりながら263段の石段を登って境内に入ります。 車で来てしまうとここは通らないのですが、少しだけ石段を下りて気分を味わってみました。

太皷谷稲成神社

神門

表参道の石段を登りきったところの、境内入口にある門。真ん中の扉は新年と祭事のときにしか開かれないそうです。

太皷谷稲成神社

境内からの眺望

津和野の町並みが綺麗にみられます。「石州瓦」を使った赤い屋根の建物が多く見えるのが特徴です。

太皷谷稲成神社

津和野城

リフト乗り場(リフト茶屋)に着いたのは14:30。 リフトは人が来た時だけ動かすようで、行ったときは動いていなかったのですが、 のりばのおじさんに「乗る?」と聞かれ、「はい」と答えると、動かし始めました。
「城の見学には約60分かかること、最終の戻りのリフトは16:30であること」を念押しされました。 「100名城スタンプ」がリフト乗り場にあるのですが、もたもたしていると怒られそうだったので、帰りに押すことにしました。

津和野城の歴史

元寇があった翌年の1282年、吉見頼行は、 鎌倉幕府から西石見地方の海岸防備を命じられ、地頭として能登から石見に下向しました。 1295年から一本松城(後の三本松城、津和野城)の築城を開始。 以後、この城は、14代300年間、吉見氏の居城になりました。

戦国時代に入った頃、吉見氏は大内氏に属しました。 1551年、主君の大内義隆が家臣の陶晴賢に滅ぼされると、義隆の姉を正室にしていた吉見正頼は、 陶晴賢討伐の兵を挙げ、三本松城(後の津和野城)で100日以上の籠城戦を戦っています。

その後、毛利氏の傘下に入り、毛利氏が関ヶ原の戦いによって周防・長門2か国に減封されると、
吉見広頼も津和野を離れ、萩に移り住みました。

1601年、津和野城には代わって坂崎直盛が入城します。 直盛は、宇喜多秀家の従兄弟でありながら主君の秀家と対立し、関ヶ原の戦いでは東軍に与して功績をあげた武将です。 直盛は、津和野城を石垣を多用した近世城郭に大改修しましたが、1616年改易になります。

1617年、亀井政矩が入城すると、以後は明治維新まで11代にわたって亀井氏の居城となりました。 亀井氏はもともと出雲の尼子氏の遺臣で、その後、豊臣、徳川と主君を変えました。 元衆議院議員の亀井久興氏は直系の子孫だそうです。

訪問記

こういうリフトに乗るのはいつぞやのスキー場以来でした。

津和野城

リフトおりばの横からの眺望。山口線がちょうど鉄橋を渡るところを撮れるスポットになっていました。 SLやまぐち号が運行される3-11月の時期はいいでしょうね。

津和野城

石垣のある城跡までは15分ほど歩きますが、途中の道はずっと補修中でした。

津和野城

中世吉見氏時代の堀切。

津和野城

出丸は補修中で入れませんでした。

津和野城

石垣が近づくと地面には瓦が散らばっていました。 瓦は、本当にここに建物があったんだという気分を盛り立ててくれます。

津和野城

二の丸、本丸の石垣

歩いてきて、最初に正面に見える石垣。スケールの大きさに感動しました。

津和野城

東門

坂崎氏以降の大手門。

津和野城

三段櫓

東門を見下ろす場所にあります。

津和野城

地図

わかりにくい。。

津和野城

馬立・台所(三の丸)

馬立は馬をつないでいた場所。

津和野城

馬立の奥の台所では、石列の排水機構跡が確認できます。

津和野城

海老櫓

台所の奥。

津和野城

西門

東門と馬立を挟んで反対にある門。

津和野城

天守台

馬立からみた天守台。奥の石垣の上は本丸に相当する三十間台です。

津和野城

馬立を出て天守台に向かう途中。正面に見えるのは南側にある三の丸で、上の石垣は人質郭。私はこの写真が気に入っています。

津和野城

天守台から。奥に見えるのは先ほどいた馬立。

津和野城

三十間台

一番高いところにある郭。神社の境内から見た眺望もよかったですが、ここからの眺望はまた一味違いました。 下の写真はパノラマ。つなげ過ぎてかなり歪んでいます。。

津和野城

南の方向をみたところ。手前が人質郭。奥が三の丸。

津和野城

太鼓丸

三十間台から一段下りた北側の郭。振り返って三十間台のほうを見たところ。

津和野城

ちょうど山口線が通ったので激写しました。 真ん中に小さく見える二両編成の列車が山口線です。

津和野城

三の丸

南門を入ったところから。前に見えるのは人質郭と三十間台。

津和野城

とにかく天気が良くて気持ちよかったです。リフト茶屋に戻ったのは15:40。登城にかかった時間は、1時間強でした。

津和野駅でディーゼル機関車DD51を撮る

津和野の「殿町通り」というところは城下町の町並みが残されているそうで、 "堀割を泳ぐ鯉"など少し見てみたかったのですが、 周辺の駐車場が必死で呼び込みしているお土産屋さんのしかなかったので面倒でやめてしまいました。。

他にも何か所か見どころは調べて来たのですが、早朝から動き回っていてもうあまり歩きたくない気分。 そこでなんとなく津和野駅に行ってみたら、DD51(1043)が停まっていました。 国鉄時代は大活躍したディーゼル機関車もいまは希少な存在です。

津和野城

時刻は16:00。津和野はこのくらいにして、宿のある萩に戻りました。

コメントする

関連記事