100名城の82城目は、白河小峰城に行ってきました。
家を出発したのは8:15でしたが、東北道が岩槻から久喜の間が事故で大渋滞。
白河まで3時間のつもりが大幅に遅れ、トイレも我慢しながら、先を急ぎました。
最初の目的地、甲子温泉「旅館大黒屋」に着いたのは、13:15でした。
元湯甲子温泉「旅館大黒屋」
白河から近い温泉を検索したら、出てきたこの温泉。「かしおんせん」と読みます。 初めて湧き湯が発見された年が甲子(きのえね)であったことから、このように名づけられたそうで、 寛政の改革で有名な松平定信も愛した温泉なのだそうです。
「大黒屋」は、日本秘湯を守る会の会員にもなっている一軒宿で、 お風呂は15:00まで日帰り入浴も可能。しかも混浴です。 冬は雪のため、車は4WDのスタッドレスでないと来れないそうです。
全体的にレトロな雰囲気ですが、2009年に増改築されたそうで、 建物は新しい感じがしました。
別館
大岩風呂入口
お風呂のなかは、先客がいて写真は撮れませんでしたが、綺麗かつ清潔でした。 浴槽は深め。まわりに段があり、そこに腰を掛けるとちょうど肩まで浸かる感じ。 底に敷かれている石が足の裏に気持ちよく当たりました。 お湯は透明、温めですが、30分くらい浸かっていたら温かくなりました。窓から見える紅葉が綺麗でした。
ただ、混浴は脱衣スペースも一緒。それも浴槽から仕切り板があるだけなので、女性が入るには、かなりハードルが高いと思われます。
女性は誰もいないだろうと思って入ったら、先に若いお姉さんがいて、後から年配のご婦人(66歳と言っていた)も入ってきました。
いずれも、男性と一緒に来た模様。相方と来れば楽しいかもしれませんが、私なら人の目を考えるとちょっと考えてしまいます。。
年配のご婦人が若いかたにいろいろ話しかけていました。
私は紳士なので、あまりじろじろ見ないようにしていましたが、混浴はなんとなくうれしい反面、気も遣います。
ちなみに、宿泊の場合には、女性専用の時間もあるようです。
国道289号線
甲子温泉の往復に通った国道289号線は、紅葉が見事でした。もう少し天気がよければ最高だったのですが。。
白河小峰城に着いたのは、15:15頃でした。
白河小峰城<福島県白河市>
白河小峰城は、南北朝時代に白河結城氏によって築城されたのがはじまりといわれています。
結城氏は、源頼朝から領地を与えられて以来、400年にわたって白河を支配しましたが、
1590年、豊臣秀吉の奥州仕置によって改易されると、この地は会津領となりました。
江戸時代に入り、1627年、会津藩の蒲生氏が継嗣が無いことを理由に改易されると、
棚倉藩主だった丹羽長重が10万700石で白河小峰城に入城し、白河藩を立藩しました。
長重は、築城の名手。城の大改修を行い、現在残る城の基礎を築きました。
長重の子、光重のとき、加藤氏の改易に伴い二本松藩へ転封。
その後は、徳川四天王の榊原氏、本多氏、家康の娘、亀姫の嫁ぎ先の奥平松平氏、
家康の次男、結城秀康につながる越前松平氏、家康の母、於大の方の再婚先の久松松平氏、
徳川譜代の家臣の家系で、忍藩の頃から歴代藩主の多くが老中を務めた阿部氏と、6家が幕末まで藩主を引き継ぎました。
有名なのは、8代将軍吉宗の孫で、久松松平家に養子に入った、松平定信。11代将軍家斉のもとで老中首座となり、
寛政の改革を実施しました。江東区白河の霊巌寺にお墓があります。
幕末は、老中になった藩主の阿部正外(まさとう)が、朝廷の意向を無視して兵庫港の開港をすすめたことを咎められ、
強制隠居させられます。阿部氏は、棚倉藩に転封を命じられ、白河藩は天領となり、
白河小峰城は二本松藩(丹羽氏)の管理となりました。
1868年の戊辰戦争では、新政府軍との激しい攻防の舞台となり、大半を消失して落城しました。
白河小峰城は、2011年の東日本大震災で多くの被害を受けた城でもあります。 1991年、1994年にそれぞれ木造で復元された、本丸の「三重櫓」、「前御門」は、見られるようになりましたが、 もうひとつの見所の石垣は、多くが崩れ、現在も復旧作業が続いています。 2017年度中の完成を目指しているとのことですが、大部分が立ち入り禁止区域になっていました。
三重櫓と前御門
桜之門の石垣
二本松で見かけた放射線測定器がここにもありました。
城を出たのは、16:40。白河関跡にも寄りたかったのですが、北風が寒いので、そのまま帰ることにしました。 佐野の手前あたりから道が混雑しはじめて、遅くなってもっとひどい渋滞に巻き込まれるのが嫌なので、 休憩なしで自宅に直行。到着は20::00でした。