二週間前に相模国の寒川神社と鶴岡八幡宮に参拝したのですが、それ以来、自分の運気がちょっとよくなってる気がしています。 今日はもう少し足を延ばして、伊豆国の三嶋大社に出かけてきました。
御祭神と御由緒
祭神は、江戸時代まで大山祇命(おおやまつみのみこと)とされてきましたが、
幕末に積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)とする説が国学者の支持を得て、明治6年に事代主神に改められました。
昭和27年に、この二柱の神が総じて三嶋大明神と称されるようになり、現在に至ります。
大山祇命は天孫ニニギの妻となるコノハナサクヤヒメの父で、山森農産の守護神。
事代主神は大国主命の子で、出雲の国譲り神話では、大国主神に代わって国譲りの言葉を述べた神。
恵比須様とも同一とする説もある、商・工・漁業者の厚い崇敬をうける福徳の神。
ただ、近年の研究では、元々この地で祀られていた三嶋神は、噴火の盛んな伊豆諸島で原始的な造島神・航海神として祀られた「御島神」であって、大山祇命や事代主神は後世に無理やり関係づけたものとする見方が有力視されているようです。
ということで、創建年代は不詳。現在の通説では「三嶋神は三宅島を本拠とし、伊豆半島東岸の白浜に正妃・伊古奈比咩と並んで鎮座していたものが、平安中期以降に国府のあった現在地に新宮として分祀された」といわれています。
伊豆の韮山に配流されていた源頼朝が挙兵直前に戦勝祈願を行ったことが有名で、
その後、鎌倉幕府は、この三嶋大社を鶴岡八幡宮や二所権現(伊豆山神社・箱根神社)と並んで信仰したそうです。
以後も、室町幕府・鎌倉公方、後北条氏、江戸幕府と武門武将の崇敬篤く、
明治維新後は官幣大社に列せられました。
参拝日:2020年8月29日(土)
三嶋大社への参拝は、2010年4月以来、10年ぶりでした。
大鳥居
目の前の道は旧東海道。
境内図
右下に見える駐車場に車を停めた後、大鳥居にまわって参拝しました。 ちなみにこの境内図は、駐車場の上に見える宝物館の建物のなかにありました。
たたり石
旧東海道の中央に置かれていた石で、東海道を行き交う人の流れを整理していたという。
安達盛長警護の跡
1180年、源頼朝は源氏再興を祈願し、配流の地・伊豆国蛭島(韮山)から、100日間毎晩三嶋大社に日参しました。
このとき臣下の安達盛長は、ここで頼朝の警護をしていたと伝えられています。
盛長は自分の身分を卑下して、ここから先、社殿には進まなかったとのこと。
現在は、赤松と黒松がひとつの根から生えていて、縁起の良いといわれる「相生の松」が植えられています。
神池(しんち)
厳島神社
市杵嶋姫命をお祀りし、北条政子が勧請したとされる神社。
総門
昭和6年竣功。前年の地震で倒壊したため。
境内
芸能殿
旧総門。昭和8年に地震で倒壊した門を移築。
腰掛け石
源頼朝が源氏再興を祈願した際、腰を掛けて休息したと伝える石(左側)。 右側は北条政子が腰掛けたと伝える石。
神馬舎
慶応4年(1868)竣功。
手水舎
神門
慶応3年(1867)竣功。
舞殿
慶応3年(1867)竣功。つい最近修繕がされてピカピカでした。
本殿
慶応2年(1866)竣功。 嘉永7年(1854)の地震によって社殿はことごとく倒壊。 当時の神主、矢田部盛治が巨費を投じ、10年の歳月をかけて建て直したそうです。
若宮神社
摂社。三島大神の御子神、物忌奈乃命(ものいみなのみこと)のほか、誉田別命、神功皇后、妃大神が祀られている。物忌奈乃命は、神津島の物忌奈命神社の祭神。
見目神社
摂社。三島大神の后神六柱が祀られている。
金木犀
神木。樹齢は推定1200年。
社叢
パワースポットのような雰囲気でした。
伊豆魂神社
西南の役以降の伊豆出身者の戦没者を祀る。