祖母の四十九日法要と納骨がありました。
90過ぎても元気だった祖母。約5年前、95歳になってちょっと様子がおかしい(少しぼけてきた?)と思いはじめた矢先、自宅で転び骨折。以来、数回数時間自宅に戻ってきた程度で、ずっと施設での生活になってしまった。
でも、もしも家で介護をすることになっていたら周りはとても大変だっただろう。この間、父はとても献身的だった。
亡くなる5日前、母と見舞いに行ったとき、こちらが手を握ったら、足を動かすなど反応した。声による会話はできなかったけど、私のことはわかったと思う。母から医師よりモノを食べられなくなってきたのでもう長くないと言われたと聞いていたから、「しっかり食べてね」と励ました。体調も悪くなさそうで、ほんとうに長くないのかと思った。少なくとも年は越せそうと思った。
亡くなった日も、お昼過ぎに一度、両親と見舞いに行った。そのときは少し呼吸が不安定で心配になった。でも、手を握ったら、こちらに話しかけてきた。何を言っているかわからなかったけど、きっと「ありがとう」と言ったと思う。帰り際、介護のかたが、「今日の昼はだいぶ食べた」とおっしゃっていたので、なんとか頑張って欲しいと思った。
夜8時過ぎ、施設からの電話で急遽両親と駆けつけたが、ぎりぎり間に合わず。残念だけど、苦しまず幸せな最期だったと思う。後から来た叔母さんが「なんともいえない」と言っていたのが印象的。介護のかたは「(死は)誰しも通らなければならない道だから」と言っていた。
100歳まであと4日だった。本人も100歳を目標にしていたから、それは少し心残り。今後、うちの家族で100歳にチャレンジできるはいなさそう。まだ自分が小学生だった頃に、祖母は「寝たきりになって家族に迷惑かけてはいけないから」といって家で体操していたことを思い出した。見習いたい。
これまで、お墓のことは祖母にまかせっきりだった。
納骨にあたり、お墓からは何人かの骨が出てきたが、祖父以外はどういう関係の人だがよくわからなかった。祖父は、私が生まれるだいぶ前に亡くなっているが、祖母と結婚後に、母親の実家の養子になったらしい。つまり、私の苗字は私の曾祖母の実家の姓とのこと。
その先祖は、江戸幕府とともに、大阪からきた漁師らしいのだが、詳しいことはわからない。
ファミリーヒストリー、NHKに調べてもらいたい。