2009年10月にアクセラを買って以来、車に乗った日の走行距離を毎回記録しています。
2015年9月までの6年間の平均は、年間約8815km。月に換算すると734.6km。
休日ドライバーにしては頑張って乗っているほうでしょう。
一の宮神社と100名城で全国を走り回った結果です。
ですが、先の10月の走行距離は89kmでした。遠出しないと途端にこうなってしまいます。
これだと年間数千kmのペース。車のためにもどんどん出かけないといけないですよね!
今日はあまり出かけたい気分ではなかったのですが、義務感に駆られ、
群馬県高崎市の箕輪城に出かけました。
まずはスタンプ設置場所の「高崎市役所箕郷(みさと)支所」へ
東京から2時間弱、到着は11:00頃でした。休日窓口で30代後半ぐらいの職員さんが対応してくれました。
箕輪城
箕郷支所から車で約5分。新しくできた搦手口(からめてぐち)の駐車場に車を停めました。
事前の口コミ情報どおりで、道がわかりづらく、
支所の職員さんが道順を教えてくれたにも関わらず少し迷いました。。
本丸まではここから歩いて5分。中央コースという周回の遊歩道を本丸、御前曲輪、三の丸と歩き、
途中、石垣が多くの残されている虎韜門(ことうもん)に寄り道してから、二の丸、本丸の入り口へ戻りました。
口コミ情報によれば、夏の間は蚊が多く、何だかわからない異臭もするなど書かれていて、
あまりいい印象がなかったのですが、実際来てみるとすがすがしく、
約一時間、とても気持ちの良いハイキングができました。季節的にもよかったかもしれません。
特に御前曲輪から本丸の西側の堀底を歩く道はおすすめです。
本丸
御前曲輪
本丸西側の堀底
三の丸の石垣
箕輪城の歴史
箕輪城ははじめ、関東管領・山内(やまのうち)上杉家の重臣、長野氏の居城として築城されました。
山内上杉家は、かつて関東の広範囲に勢力を伸ばしましたが、
鎌倉公方足利家や扇谷上杉家との争いが続き、次第に弱体化していきます。
長野氏は、戦国時代に入ってからも山内上杉氏の再興を図り孤軍奮闘しましたが、
最後は武田信玄に敗れました。
その後この地方は、武田氏、織田氏、北条氏、徳川氏と次々に主が代わりましたが、
西上野(こうずけ)の中心地である箕輪城には、そのたびに各大名の有力家臣が配置されました。
1590年、北条氏の滅亡を受けて入城した徳川四天王の一人、井伊直政は城の大改修を行いました。
しかし、1598年に、中山道の整備とともに拠点を高崎城に移し、箕輪城は廃城となりました。
榛名神社に行く
箕輪城だけだと少し物足りないので、関東屈指のパワースポットとして名高い榛名神社に向かいました。
まずは参道の「門前仲まち おとうふや」で遅めのお昼を食べました。
鳥居
神橋
瓶子瀧
矢立杉
鎧岩と双龍門
額殿と国祖殿
拝殿
社殿と御姿岩
参道から境内への道は雰囲気があってとても良かったのですが、境内はなんとなく混み合っていて、あまり落ち着きませんでした。 強力な願望実現パワーがあるということですが、こんな気持ちで参拝して、願いがかなうでしょうか。。
「榛名湖イルミネーションフェスタ」に行く
神社の参拝を終えて、時刻は15:30過ぎ。
帰るにはまだ少し時間があり、近くで立ち寄れそうな場所を探していると、
お昼に入手した観光協会のパンフレットに、榛名湖イルミネーションフェスタが紹介されているのが、目に留まりました。
今日が初日で、17:30には花火の打ち上げもあるとのこと。
そういえば、デジタル一眼レフカメラを持つようになってもうすぐ5年ですが、
いままで花火の写真は撮ったことはありません。
用意してきたわけではありませんが、車に小さな三脚もあったので、行ってみることにしました。
花火会場に直行し、たくさんの写真愛好家に混じって、一時間以上前からスタンバイ。
この間、必死で寒さに耐えました。
17:30、ようやくはじまり、必死でシャッターを切り始めました。 ところが、途中でまさかのバッテリー切れ。いや、朝からずっと使っていましたし、なんとなく予感はしていたのです。 待っている間、カメラから外しておけばよかったかもしれませんが、後の祭り。 良く取れていたのは、下の二枚くらいでした。
花火が終わった後、バッテリーをカメラから外し、擦ったら少し復活したので、 場内のイルミネーションを何枚か撮って、帰路につきました。
18時30分に会場を後にし、渋滞もなく2時間15分で自宅に到着しました。 出かける前の気分からは一変し、盛りだくさんの充実した一日になりました。