足利氏館から金山城にまわりました。
金山城
室町時代中期の武将、岩松家純が標高235mの金山の頂上に築いた山城です。
岩松氏は、足利氏2代目足利義兼の庶長子足利義純と新田氏2代目新田義兼の娘との間に生まれた子である「足利時兼」が父から勘当され、
母の実家である新田氏からその所領の多くを相続してはじまった家で、現在も新田家として存続しています。
その後、岩松氏の家老だった横瀬(由良)氏が下剋上して城主となり、
後北条氏の関東進出以降は、後北条氏の城となりました。
横瀬氏の頃には、上杉謙信や後北条氏の攻撃を退けるなど、堅城ぶりを証明しています。
小田原征伐で豊臣秀吉軍の攻撃を受け、廃城となりました。
明治になり、本丸跡に新田神社が創建されました。
平成4年から発掘調査がはじまり、関東にはとても珍しい総石垣の城であることがわかったそうです。
平成6年から史実に基づいて復元がされてきたそうですが、その整備の綺麗さにとても驚きました。