1198年に地頭職に任じられた遠江国相良出身の相良長頼が築城したと伝わる。
相良氏は戦国時代に球磨地方を統一し、八代や薩摩地方まで領土を拡大しますが、1581年に島津氏に降伏して臣従。秀吉の九州征伐後、再び独立領主となりました。関ケ原の戦いでは、当初西軍につきますが本戦で石田方が敗れると徳川方に内応し、所領を安堵されました。
城は1589年、20代当主長毎(ながつね)が近世城郭への大改修に着手。1601年には、本丸、二の丸など詰めの城部分が完成。以後、明治に至るまで相良氏の居城として存続しました。
人吉城全景。(100名城スタンプ設置場所、休館中の人吉城歴史観前より)
地図で場所を確認。歴史館前の現在地は、西外曲輪で武家屋敷があったところ。
令和2年7月の豪雨災害の影響で、見学できる場所は今も制限があります。
こちらの図は上が北で、上の地図を右に90度回転させた向き。
往時の登城ルートとしては、地図上の球磨川(右が上流)沿いにある御下門(おしたもん)から三の丸(下段)に入り、中御門より二の丸へ入っていくのが正式ですが、残念ながら川沿いは水害の影響で全面的に立入禁止になっています。
今回は観光ルートにしたがい、藩主屋敷の正門から往時はなかった通路を通って三の丸にあがります。
一度西外曲輪を出て、球磨川の支流、胸川に架かる大手橋から散策スタート。
正面の大手門から西外曲輪に入ります。
大手橋から北方向。見えている川は胸川。
多聞櫓は復元。現在は豪雨被害の影響で中に入ることはできません。
南方向、大手門の石垣。
大手門を入ったところには武家屋敷がありました。左に見える建物が最初の写真を撮った場所、人吉城歴史館です。
藩主屋敷(御館)を囲う石垣。北側石垣の上の武者返しが見どころ。武者返しは五稜郭や長野の龍岡城など西洋式城郭に見られますが、旧来の城郭でみられるのは人吉城だけ。
球磨川から現在立入禁止になっている城の北側を見たところ。川からの入口は水の手門。
そこを入ったところの奥に小さく藩主屋敷の裏門である堀合門(復元)が見えています。
その後ろ、山の上に三の丸、二の丸があり、二の丸の奥に本丸があります。
藩主屋敷(御館)西側の石垣。
藩主屋敷(御館)南側のため池と石垣、奥に石橋。
藩主屋敷(御館)の石橋を正面から。
御館(みたち)は、1683年に城主相良氏の居宅が置かれて藩政の中枢となった場所。
こちらが正面入口。石橋は1766年に造られたものだそう。
御館の庭園。表御殿の南端には大広間や使者の間がおかれていて、
子の庭園を眺望できるようになっていたとのこと。背後の山は、中世に相良氏の居城があったところ。説明板には歴史ある大名ならではの祖先敬慕の遥拝庭園と書かれていました。
藩主屋敷(御館)西側の石垣を内側から。
現在、御館跡には相良神社が建てられています。
藩主屋敷(御館)から三の丸にあがっていきます。往時はなかった通路らしいですが、
通路入口に見える写真左の石垣は何らかの遺構かと。
三の丸に来ました。今立っているところは三の丸(下段)で、正面の石垣の上が三の丸(上段)。
三の丸(下段)北西端にある於津賀社跡の礎石。
相良氏が人吉の地頭になる以前にこの地を治めていた平氏の代官を祀る神社が建てられていたそうです。
三の丸(下段)から二の丸の石垣の方向を見たところ。右側手前の石垣は三の丸上段の石垣。三の丸下段は立入禁止の区域が大きく、見学できるのはここまで。
三の丸(上段)西側の広い曲輪。三の丸は西方に於津賀社と2棟の塩蔵、東の中の御門近くに井戸と長屋を配置するだけで、大きな広場か確保されていたとのこと。
二の丸北西の石垣。左の奥に二の丸に入る正門、中の御門の石段が見えています。
今はまっすぐ進んで中の御門へ行けますが、現地説明板によると
往時は石垣で仕切られていたみたい。
三の丸(上段)の北側から西方向を見たところ。奥に見えるスペースが、先ほどいた三の丸(上段)西側の曲輪。前の石段を上がって二の丸に入ります。
石段の上には埋御門がありました。
二の丸に入って埋御門をふり返ったところ。
二の丸から北西の方向。一段下がったところが三の丸上段でその奥が三の丸下段。
三の丸下段の左のほうに、先ほど見た於津賀社跡が見えています。
正面、球磨川の向こうに城下町がありました。今も町ですね。
現地案内図で位置を確認。二の丸は、江戸時代初めに本城とよばれていたところで、
御殿があり、城の中心部だったところ。本当は御下門から中の御門を通って登城したかったのですが立入禁止で残念。
それにしても気持ちのいい眺めでした、、。
西のほうは武家地だったところ。今も町並みがちょっと地味ですね。
二の丸。
石段をあがったところが本丸です。手前には井戸跡が見えます。
本丸は小さな曲輪で護摩堂が建てられていたそうです。
三の丸の上段に戻りました。
最後に、御下門から上がってきたていで中の御門から二の丸に入ってみます。
では中の御門へ。
左に折れたところが門。
門を引きで。大きな櫓門だったそうです。
ではくぐっていきます。
桝形虎口。
二の丸に入りました。北から南の方向。御殿の玄関も正面は北に向いていたそうです。